日記・コラム・つぶやき

2017年4月13日 (木)

人生カフェとは

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平成29年10月1日

中高年の人生を考える哲学カフェ(月4回)  

  人 生 カ フ ェ

◎目的・趣旨

  人生カフェにようこそ! 今までの人生を振り返り、これからの人生をしなやかに生きるために、主に中高年の人生について考える哲学カフェです。1人で考えるより、みんなで考える方が未来へ向けて何かしらのヒントを得られると思います。

◎内容

  各回、テーマを決めて、テーマについて対話をする会です。自らの「問い」を大切にします。各自の体験事例(エピソード)を交えて考えていきます。専門的な哲学の知識は必要ありません。下記のルールを守ってくだされば大丈夫です。(哲学史・哲学者の学習会ではありません。特定の政治・宗教・営利に関係するものではありません。)お気軽にご参加ください。入退室は自由です。(途中休憩あり) 終了後、希望者による懇親会(食事会)もあります。

(テーマ例)*幸せとは何か *愛とは何か *存在(実存)とは何か *死とは何か 

Aタイプ】あらかじめテーマが設定されています。

Bタイプ】参加者でテーマを決めていきます。

Cタイプ】イベント的に開催します。(例)「読書会」「幸福シート」

◎開催日時 ①原則として第一金曜日(他の週の金曜日のこともある) 午前10時~12時

原則として第二土曜日 午後1時30分~5時

      ③原則として第三金曜日(他の週の金曜日のこともある) 午後7時~9時 

      ④原則として第四土曜日 午後1時30分~5時

◎開催場所 主に東京都新宿区の高田馬場駅周辺の会場(新宿区内の会場を確保します。)

◎参加者 希望者であれば、どなたでも参加可。若い方の参加も歓迎します。

◎定 員 原則として12名(最少催行人員4名) イベントにより多少異なります。

◎参加費 1人あたり500円(会場・資料・お菓子代等)(自分の飲み物などは持参してください。)

□人生カフェのグランド・ルール

  ①人の話をよく聞く。(人の話を途中でさえぎらない。)

  ②人の悪口を言わない。(人格攻撃をしない。)

  ③誰か偉い人の考えの紹介ではない。(自分の考えを述べる。)

□人生カフェのミニ・ルール

  ①話をする、しないは本人の自由である。

  ②自分の名前を言ってもいいし、言わなくてもいい。ニックネームでもいい。

  ③発言をする場合は手を挙げて、ファシリテーター(進行役)の許可を得る。

  ④5分以上の話を続けている場合、ファシリテーターがストップをかけることがある。

□その他

  ①他の人の発言に対して、時には応答(質問、意見等)をしてみましょう。

  ②お互いの考えの違いを尊重しながら、みんなが納得する考えを模索しましょう。

  ③自分の問いや考えが変わっていくことを楽しみましょう。

④結論を出す場ではありません。モヤモヤした感じが後に残るでしょう。いろいろ考えるきっかけにしましょう。

☆ネットでは「人生カフェ」で検索できます。

(開催タイプ、日時、場所等が毎回異なりますので、ネットでご確認ください。)

http://tokyojinseigakuin.cocolog-nifty.com/blog/ 

◆参加申込 初参加者は会員登録(氏名、年齢)が必要です。

      原則として、イベントごとに事前申込制です。(事前申込不要のイベントもあります。)

♢世話人 本間正己(代表) 脇村恵子 五島由美子

◎参加申込は五島まで。

otosangon@yahoo.co.jp

◎参加申込以外の問い合わせは本間まで。 

mgasami.honma@gmail.com

  

平成29年1月1日

 

人生カフェ・当日の一般的な流れ

 

 

 

〈当日にメインテーマを決める場合〉【Bタイプ】

 

 

 

Ⅰ メインテーマを決める 【起】 (問いの力)

 

  *簡単な自己紹介を順番に行う場合がある。

 

  *各自が最近感じていること、考えていることを出し合う。このことによって、各人の興味・関心のあるところが分かる。

 

  *参加者全員が協力してテーマを一つに絞っていく。

 

  *取り上げられなかったテーマも本日のカフェの中でお互いに反響し合うということを経験する。

 

 

 

Ⅱ サブテーマを出し合って、対話する 【承】 (問いの力)

 

  *サブテーマを出せる人から出していく。

 

  *様々な角度からテーマを考えていくことによって、問いを発展させる。

 

  *気になるサブテーマを掘り下げていく。

 

 

 

Ⅲ メインテーマに沿った各自の体験事例(エピソード)を出す 【転】 (体験の力)

 

  *体験事例を出せる人から話してもらう。

 

  *人生カフェにおいては具体的な体験事例は重要であり、お互いに参考にする。

 

  *テーマに対する反体例も事例になりうる。

 

 

 

Ⅳ メインテーマの問いに対する答えを探求する 【結】 (答えを求める力)

 

  *参加者全員で答えを見つけるために対話を重ねる。

 

  *最後の20分になったら、各自が本日の自分なりのとりあえずのコメントを発表する。(各自それぞれでいい。正解があるわけではない。)

 

  *自分なりのとりあえずのコメントとは、①とりあえずの気づき(結論) ②とりあえずの新たな問い ③とりあえずの感想 などである。

 

哲学カフェについて、もっと知りたい方のために(哲学カフェ・人生カフェ案内)

 人生カフェも含めて、一般の哲学カフェ(特に東京圏の哲学カフェ)について、紹介・案内や情報提供・説明をします。お気軽にご相談ください。
 もっと哲学カフェや人生カフェを楽しみたい方にも適していると思います。
 
案内人:本間正己(人生カフェ代表)
 
時 間:2時間以内
     金曜日夜から日曜日夕方までの間のお互いに都合のよい時間を設定する。
 
場 所:新宿区高田馬場のどこかのカフェ
 
参加者:1~3人以内のご希望の方(1人でも可)
 
内 容:あらかじめ主な質問やテーマをお知らせください。(簡単でいいです。)
     それに沿ってお話をします。
(例)〇東京の哲学カフェにはどのようなものがありますか?
   〇哲学カフェにおいて「問い」「考える」とは何でしょうか?
   〇なぜ人生カフェを開催しているのですか?
 
経 費:本間のコーヒー代+資料代等100円
 
申込み・問合せ先:mgasami.honma@gmail.com (本間あて)
(実績:3か月間で6回実施、延べ8名参加)

2016年11月22日 (火)

これからの人生カフェ

主に中高年の人生について考える哲学カフェです!

10月は金曜日夜の人生カフェはお休みします。

【お知らせ】

10月22日(日)に人生カフェは哲学プラクティス連絡会第3回大会(立教大学・池袋)でブース発表をします。

哲学プラクティス連絡会のホームページ

http://philosophicalpractice.jp/information/ 大会案内

http://philosophicalpractice.jp/ トップページ

 

第68回  人生カフェ 【Cタイプ】

 

〈テーマ〉 『ホンマ(マラン)の幸福論』を読む

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人生カフェでは「幸福」ということがよく取り上げられます。

こういう中で、人生カフェの主催者ホンマが『ホンマ(マラン)の幸福論』という短文を書いています。今回はこの文章を素材にして、人生カフェを行います。

ホンマの考えの押しつけはいたしません。(宗教ではありませんから)

質問、批評、批判等々、大歓迎です!

当日、『ホンマ(マラン)の幸福論』のコピーを参加者にお渡しして、みんなで輪読します。

事前に読んでみたい方は、以下にアクセスしてみてください。

https://myasami-honma.jimdo.com/本論-追補-雑記/ 

サイトマップの「本論 追補 雑記」をクリックしてください。 

そして、「本論」のところをダウンロードしてください。

https://myasami-honma.jimdo.com/

トップページです。(「ホンマの幸福論」で検索できます) 

 

日 時:平成29年10月28日() 午後1時30分~5時

会 場: 東京都新宿区立新宿消費生活センター分館 会議室
          新宿区高田馬場1-32-10
       (高田馬場駅戸山口から徒歩2分、山手線、西武新宿線、東西線)
       
http://consu.shinjuku-center.jp/Access

定 員:12名

進行役:本間正己

 

[各回の共通事項]

 

定  員: 各回異なります。(最少催行人員4名)

スケジュール: 途中休憩あり

        最後に、今日の感想、お知らせなど

        終了後、希望者による懇親会(食事会)を予定しています。

参加費:500円   飲み物などは各自で自分の分を調達してください。

          (ただし、アルコールは不可。他の人のお菓子等を用意する必要はありません。スタッフが用意します。)

申込み:

事前にメールで。五島まで。otosangon@yahoo.co.jp

 最初に会員登録が必要です。氏名(フルネーム)、年齢をお知らせください。

こちらからの返信メールが 届かない方がいます。解除操作をしておいてください。

 

第69回  人生カフェ 【Aタイプ】

初めて金曜日の午前中に開催します。

カフェのプロント高田馬場で、定員6名で実施します。

〈テーマ〉家族とは何だろう?

10月17日で定員に達しました。キャンセル待ちご希望の方はメールでご連絡ください。

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家族と言える最低の条件とは何だろう?

そもそも家族って何だろう?

  

日 時:平成29年11月10日(金) 午前10時~12時

会 場: プロント高田馬場店

    JR高田馬場駅戸山口から徒歩1分

    https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13164918/

定 員:6名

参加費:この回はプロント高田馬場店での自分の飲食代のみです。

     通常の500円の会場費等はかかりません。

進行役:本間正己

 

第70回  人生カフェ 【Cタイプ】

 

〈テーマ〉 キーワードから対話する(第2回目)

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参加者それぞれからキーワードをあげてもらい、その中からテーマを一つだけに絞るのではなく、順不同に一つずつについて時間の許す限り対話する、第2段です。 

 

最近気になること、皆で話したいこと、

 

ちょっと困ってること、などなど…キーワードを挙げてみてください。

 

対話を楽しみましょう!

 

(時間の関係で全てのキーワードについて対話が出来ないこともあります。ご了承下さい。) 

日 時:平成29年11月11日(土) 午後1時30分~5時

会 場: 東京都新宿区立新宿消費生活センター分館 会議室
          新宿区高田馬場1-32-10
       (高田馬場駅戸山口から徒歩2分、山手線、西武新宿線、東西線)
       
http://consu.shinjuku-center.jp/Access

定 員:8名

進行役:脇村恵子、五島由美子

 

第71回  人生カフェ 【Aタイプ】

今回の金曜日夜は事前申込制で定員10名です

 

  〈テーマ〉人間関係     

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「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」と言った心理学者もいますが、皆さんにとっての人間関係は楽しいものですか?それとも煩わしいものでしょうか?
私達が生きていく上で、決して切り離すことの出来ない「人間関係」について考えます。
参加者の方には、当日、各自の人間関係にまつわる問いを出して頂きます。

 

日 時:平成29年11月17日(金) 午後7時~9時

会 場: 東京都新宿区立新宿消費生活センター分館 会議室
          新宿区高田馬場1-32-10
       (高田馬場駅戸山口から徒歩2分、山手線、西武新宿線、東西線)
       
http://consu.shinjuku-center.jp/Access

定 員:10名

進行役:高橋あずさ

 

第72回  人生カフェ 【Cタイプ】

 

〈テーマ〉 対 話

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『あなたの人生が変わる対話術』(泉谷閑示著、講談社+α文庫)の読書会です。

 

日 時:平成29年11月25日(土) 午後1時30分~5時

会 場: 東京都新宿区立新宿消費生活センター分館 会議室
          新宿区高田馬場1-32-10
       (高田馬場駅戸山口から徒歩2分、山手線、西武新宿線、東西線)
       
http://consu.shinjuku-center.jp/Access

定 員:12名

進行役:本間正己 

2015年7月18日 (土)

人生カフェの記録 ②

ご感想があればコメント欄に投稿してみてください。

[第67回目の記録]

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第67回目の人生カフェは、平成29年10月14日(土)男性4名、女性8名、計12名で実施された。

この日のテーマは「受け入れいるとはどういうことだろう?」であった。

まず、各自にメインテーマへと繋がるサブテーマを問いの形で書いてもらった。

出されたものは以下の通りである。

なぜ人を受け入れらることができないのか?

理解できても受け入れられないのはどうしてか?

しょうがないって思う事は受け入れるとは違うのか?

受け入れる、認める、諦めるの関係は?違いは?

受け入れやすい人というのはどういう人だろうか?

受け入れた後はどうするのか?

○人生2回目の理想主義は可能か?

○受け入れなかったことを受け入れられるようになるのはどんな時(場合、状況、気持ち)か?

○受け入れられない人、考え、指示(仕事上)に対してどう対処するか?

○受け入れられないときどうしたらいいか?

○丁度いい受けれいてって何だろう?

○なぜ、人を受け入れたいといけないのか?

○受け入れる必要はあるのか?

今回は初めての試みで、ホワイトボードに貼り出されたサブテーマを参加者全員で同じようなテーマで一緒にしたり、円で囲ったりして考えた。

すると、ホワイトボード上に「受け入れる」ことに対するサブテーマの時系列の様な流れが現れた。

この中からサブテーマを皆で、「認める、諦めるの関係は?違いは? しょうがないと同義語? 丁度いい受け入れって何?」を選びフリートークが始まった。

・丁度いい受け入れって何?丁度いいと悪いの経験はあるか?

・まあいいかこれで・・・は何%?100%が受け入れるってことなのか?60%でも自分で妥協点をみつけるのか?

・もやもやしない感情が波立たない事が受け入れるって事じゃないか?

・諦めるとは違うんじゃないか?

・対象によって違うんじゃないか?雑貨の購入だったら50%をきっても受け入れるが、結婚などは30%では選ばないだろう?

・震災などの災害は?震災は認められない。しかし、認めないと先に進めない。

100%の受け入れはあるか?受け入れるレベルはある?

・受け入れることは不幸な事実を消化し、人生を豊かにし精神を強くするものではないか?

・新しい職場でランチの時間のこと。皆に簡単に受け入れられずっと前からいるんじゃないか?と思わせる人や、外に一人で食べに行く人や距離を置く人など様々いる。

・皆平穏に感情を波立たせない事を望んでいるんじゃないか?

・受け入れるって本当に幸せな事?

・受け入れるはポジティブ?諦めるはネガティブブ?

・親にテストの結果低い点数を見せて、いいんじゃない?と言われたら諦められている感じがし、もう少し出来たんじゃない?と言われれば期待されている感じがする。

・ボッチ(ひとりぼっち)が気にならないと言うのは、本当の意味で受け入れてもらえる場所があるからじゃないか?

・現代はもはや結婚は必要ではないのではないか?そんな時代でも相手の人生を受け入れ結婚しますか?

等々、様々意見が交わされた。

最後に、対話を通しての自分なりの感想を発表してもらった。

○受け入れると言っても①単に受容せざると得ないというのと②納得するというのは違うかな?

○今まで受け入れることが受動的と思っていたので、能動的という考え方もあることに気づかされました。

○受け入れるために理解する・プラスに考えることはどうなのか?

○複数の居場所・つながりがあると楽に生きられるのかな、と思いました。

○とりあえずの結論。結局受け入れることに関する様々な事柄にこれだ!という答えはないと思う。答えは各自の心の中にあると思う。

○あきらめることについて気になる。辛い事、嫌な事を受け入れるのを知りたい。

○感情を平穏にしたい。

○受け入れる事ばかり考え、受け入れてもらうことは考えていなかった事に気付いた。

○受け入れる基準、感情が波立たない状態。

○受け入れるは納得する事。

○孤独について、結婚について、話してみたい。

○意外と自分を受け入れてもらいたい気持ちが多い自分を発見できた。

○自分が自分を受け入れること。

○部分的受け入れと全面的受け入れ(幻想か?)

○対人関係 受け入れること=愛すること=見返りを求めず与えること

今回もモヤモヤし、新たな問いが浮かぶ楽しさを味わう時間となった。

 [第66回目の記録]

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第66回人生カフェは、平成29年9月23日(土)、9名(男性5名、女性4名)の参加で実施された。

今回は『14歳からの哲学』(池田晶子著 トランスビュー発行)を読むという読書会の形式をとった。

27.人生の意味[1] 28.人生の意味[2] 29.存在の謎[1] 30.存在の謎[2]を取り上げ、「14歳からの哲学」は第5回目、最終回となった。

まずは「人生の意味[1][2]の気になるところをあげてもらった。

P179.180 「死ぬ」と言う事は全てが無に帰するということであるのかどうか。

P180 死ぬ事を理由に生きる努力を空しいと言う事はできない。

P181 自分でその間違いに気づくまでは、他人にはどうしようもないことなんだ。だから君は、他人のことは気にしないで、まっすぐ自分のじんせいを生きてゆけばいいんだ。

P182 宇宙ががただそうようにあるように、人生もただそうようにあるだけではないだろうか。

P183.184 奇跡的な出来事がどうして空しいことであるはずがあるだろうか!この不思議の感情は、おそらく、敬虔な信仰をもつ人が神様に捧げる祈りんに似ている~。

P184 この不思議の感覚奇跡だという感情はおそらく敬虔な信仰をもつ人間が神に捧げる祈りに似ている。考える精神が考えに考えた果てに至りつく感覚に似ている。

P184 自分を超えた存在や力に、自分の心において出会う。人は驚きと同時に、深い畏れを知る。

P185 何もしたい事がないなら何もしたくない事がしたいことだ。

P188~189 運命と自由とはどこが違うものであるのだろう。運命とは自分とは全く同じもの。運命とは、自分の自由で創るものだとわかるだろう。

人生の意味を踏まえてフリーに対話が始まった。

死んでしまったら自分は存在しないのからわからない。

孤独死はかわいそうと言うのは生きている人が思う事。死んだ人はわからない。

無に帰する。「死後の世界」「生まれる前の世界」なかった事に戻る。

死はブラックホールみたいな事かな?

年をとるほど老後の心配が増えると言っている知人がいる。老後と死は違う。老後は心配。死は恐怖。

今まで生きて来た事が無になる事が怖いのではないか?

自分の存在が無になる理屈っぽい恐怖。生物的な恐怖。

我思う我あり。今があるのだからなかなか怖れない事は難しい。

死は怖くない。死ぬ時痛いのが怖い。

年を取ると考え方が変わる。死は他人事ではない。でも他人事でもある。

人生の意味を考えると死を考える。

 

 

休憩をはさみ、「存在の意味[1][2]」の章の気になる所をあげてもらった。

 

196.197 わからないとわかるからこそ考える。人は考える。考え続ける。

 

197 人生の覚悟。

 

199 生きているという事、自分がいると言う事の謎はそのまま宇宙があるということの謎だ。謎はそれが「ある」ということだ。「ない」のではなくて「ある」ということだ。

 

201 君は冒険者だ。永遠の謎に挑む冒険者だ。

 

201 生きるも死ぬもじつはない。生きるも死ぬも言葉にすぎない。

 

202 考えるということには果てがない。謎というものには果てがない。でも謎の入り口は至る所にある。

 

203 君が夢を見ているのではなくて、夢が君を見ているんだ。

 

204 真理はすべての人の内に等しくあるものだ。

 

204 「存在すると言うことは、奇跡だ。~終わりまで。

 

まずは、君が夢を見ているのではなく夢が君を見ているんだ。についての解説から。

 

夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。

 

この説話は「無為自然」「一切斉同」の荘子の考え方がよく現れているものとして有名である。

 

「無為自然」を荘子の言葉でいえば「逍遥遊」となり、それは目的意識に縛られない自由な境地のことであり、その境地に達すれば自然と融和して自由な生き方ができると荘子は説く。

 

存在の意味を踏まえてフリーに対話が始まった。

 

「ある」「私がある」とは言葉だけの事じゃないか?

 

君と言うとき全ての物につながっている。全ては一部。一部は全てなのだから。君は真理である。

 

君と自分を協調する。考えるために。

 

「深い所で全て繋がっている」と言う意味がわからない。自分とペットボトルは繋がっている?(笑)

 

この本で夏休みの宿題の読書感想文を書いて「僕が真理だ。」と書いたら学校の先生はなんと言うだろう?(本の中でも怒られると書いてある。)

 

人生についてのアンケートをすると「唯物的」「死ねないから生きている」の答えが多い。(本当か?)

 

老人への人生の後悔のアンケートで一番多かったのは「チャレンジしなかった事。」だそう。

 

ここで参加者から質問

 

「皆さん、生きる意味があると思っていますか?」

 

「意味があると思う。色んな事を経験するために人は生きている。そして死後の世界があると信じている。」

 

「日本人だと皆が同じ絶対的なものがない。西洋は神の存在を信じている。子供や孫を経済的にサポートする為。人にゴルフのスコアが上がったなど自慢したい。など人それぞれ人生の意味を持っているんだろうな。」

 

仏教はただあるだけで生きていけば良い。キリスト教は神が絶対。

 

また本に戻る。

 

意味があると思えばあるし、ないと思えばない。

 

絶対的な意味はないが神の存在は認めている。

 

その人次第。

 

謎に向かって考え続けていく事に意味がある。

 

いきなり宗教や神を盲信するのではなく、考える事が必要。

 

悪を為さずに善を為し、よりよくなろうと学ぶこと、それが、存在することに意味のない人生を生きることの、本当は、意味なのかもしれない。

 

どうもこれだけじゃなさそうだと思えば、君はうんと広い視野から人生を見るようになるだろうし、いや、やっぱりこれきりだと思えば、うんと潔く生きることを覚えるかもしれない。

 

最後に今日の対話の感想等をあげてもらい会が終了した。 

 

*自分中心主義、自分の殻から抜け出さない。人や社会との相互作用、影響、反発を通して自分というものの中身が豊かになっていくという視点が必要だ。

*人生の意味(生きている意味)生きがいは他人から与えられるのではなく、自らが見出すしかない。

 

*人生の意味の有無を考えたり、存在の謎を考えたり、悩んだり考えたり笑ったり泣いたり怒ったりと敬虔を重ねていくことこそが人生の意味であり「私」が存在することの意味ではないか?

 

*今回初めて参加させていただきましたが、初対面の方々の活発なご意見を聞く事はとても興味深く面白かったです。結局、結論が出ない事は分かっていたものの、考えれば考える程やはりモヤモヤとしてきました!この考える行為を共有する楽しさを知れて良かったです。また参加させていただきたいです!!

 

*(年々)自分を超えた存在に生かされていると思う事が多くなった。自分自身、家族のほかに他者のために何ができるのか問い続けたい。

 

*池田晶子さんは死後の世界や生まれ変わりを信じていたのかな?これだけ考える人が死後を考えないわけがないよな?

 

*意味があるとか無いとかは最終的に個人の考えの自由ということで結論はないと思った。だからそれを考えるのは疲れることだと感じた。こういうディスカッションは会話とも違うので突っ込んだり突っ込まれたりという形で進むのではないと思った。ちょっと難しいかも。

 

*結論はない。ないがこれからも決めてあるいは流されて進むしかない。ただあるがままに、ただそのように。 

[第65回目の記録]

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第65回目の人生カフェは、平成29年9月15日(金)夜7~9時の2時間、事前予約なしに実施した。

 男性6名、女性5名、計11名が集まってくれた。

この日のテーマは「仲間とは何か」であった。

まず、各自にメインテーマへと繋がるサブテーマを問いの形で出してもらった。

出されたものは以下の通りである。
〇仲間は頼りになるか?

〇仲間ってなるもの、作るもの?

〇仲間以外の人達に対して、排他的な感情をセットで持たざるを得ないのではないか?

〇仲間はいつまでも仲間でいられるのか?

〇仲間との距離感はどれくらいか?

〇仲間と信頼の関係?

〇仲間と家族、恋人、夫婦、友人の違いは?

〇仲間と自分が思っていたのに、相手はそう思わない時はどんな時か?

〇仲間と家族とは?

〇仲間の間にあるものは何か?

〇仲間と友だちはどう違うのか?

次にフリートークへと入っていき、様々な意見が出された。

●仲間とは、目的を共有する者同士の集まりであり、人為的に作るもので、スタートはそこにある。それに対し、友人とは、自然発生的にできるものであり、感情を優先することによって培われていくものではないか。

●家族と仲間との違いは、崩壊しても家族は家族であるのに対し、仲間は崩壊してしまえば最早それまで、といったような性質があるのではないだろうか。

●格闘技を例に挙げると、対戦相手は競技に於いては敵であるが、同じ目的を持つという意味に於いては仲間といえるのではないか。

ここで

《仲間の反対は?》を考えてみる。

●、仲間の反対はライバル、敵、好敵手、の他にも、仲間内でありながらも仲間の結束を乱す人(孤立している人、一匹狼)も仲間の反対と言えるのではないか。

●(↑の意見に対し)いや、同じ目的を有する限りは仲間と呼びたい。

信頼関係があれば、孤立していても仲間として認められるのではないか。

●仲間意識が内部の結束を高めるという利点もあるが、逆に、外側の者からみたら、排他的、閉鎖的と感じられる一面もあるのではないか。

●全幅の信頼が置ける相手は仲間といえると思う。

●時間の経過(積み重ね)がないと信頼は築けないのではないか。

●(↑の意見に対し)必ずしも時間の経過が必要とはいえないと思う。

更に《友だちと仲間の違い》を考える。

●今や、「ママ友」の出現や、フェイスブックで簡単に友だちを作れてしまうといった安易な感覚から、「友だち」の価値が下がってしまったように感じられ、「友だち」より「仲間」のほうが大切に思える。

●仲間はあくまでも仲間であり、友だち以上の感覚はない。

●「友だち」が、親しいあまりに感情がこじれることもあるのに対し、「仲間」は、目的を同じくしていることから、感情より理性を優先させているため、細く長く付き合っていけるのではないか。

●仲間として長く付き合っていくには何が必要か?

●(↑の問に対し)それは「信頼」に尽きるのではないだろうか。

等々、様々意見が交わされた。

最後に、対話を通しての自分なりの感想を発表してもらった。

▼仲間と呼べる人は、もっと多くいるのかも知れない。私が最初に「仲間」と呼んだ人達をどう呼ぶのかな?

▼「仲間」でいるための積み重ねの場を、どのように作っていけばよいのだろうか?

▼「仲間」「友人」「親友」「家族」など、言葉にはそれを使う人それぞれの解釈があって、人生が反映されているのだなと気づきました。

▼今後、人生カフェで、話してみたいことが見つかりました。信頼関係とは?時間って何?

 ▼「つみかさね」!とは?「信頼」とは?「仲間」とは?

▼仲間はむりに長続きさせなくてもよいと思う。信頼関係ができればそれはラッキー!

 ▼仲間と友達はけっこう近い関係にあるのではないかと思った。

▼皆さんの色々な意見を聞き、仲間に対する価値観の違いに目からウロコ状態で、とても楽しい時間でした。正直、予想以上のワクワクした時間でした。今後も是非参加したいと思います。ありがとうございました。

▼つみ重ね・・・腐れ縁も仲間のうち?終わっての感想、いろいろ広がってまとまりません。

▼仲間(理性)も友だち(感情)も、信頼・誠実がベース。信用ではない!

▼仲間とは人生の一時期に、同じ目的のもとに集まった人たち。(永続的でなく短期的流動的なイメージがある)

以上、「仲間」について語り合うとき、2時間ではとても時間が足りないが、それでも同じテーマについて、ひと時ともに膝を交えて考えることは貴重なことだと思う。

「仲間」「友だち」「家族」、一見まるで違うものと感じられるが、「信頼」「誠実」が基本であるという点に於いては、本質的にはどれもみな同じと考えられるような気もする。

[第64回目の記録]

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64回人生カフェは、平成29年9月9日(土)、11名(男性3名、女性8名)の参加で実施された。

この日はタイプC「キーワードから対話する」。

参加者にキーワードをあげてもらい、その中からテーマを一つだけに絞るのではなくて、順不同に一つずつについて時間の許す限り対話する形だった。

「中高年」「人間関係」「ゲーム」「人生カフェ」「日常」「家族」「政治」「テンション」「人生」「ブルゾンちえみ」「ペット」「山桜」「初心」「ランドセル」など沢山のキーワードがあがった。

まずは「中高年」一般的に女性の価値は年齢か?若くて綺麗で有ることが受け入れられて、中高年の特に女性は生きづらく理不尽に感じる事が多いのは日本と言う国民性だろうか?

少し前は女性の年齢は公表されない事もあったが、最近はプロフィールで公表されることもあり、若い事が良い事と言う感じではなくなって来ていないか?

「人間関係」職場、家族、友人(離れられる関係)、マンションの理事会(など離れられない関係)等。

人間のストレスの殆どが人間関係であると心理学などでも言われている。

書店に行くと雑談の HOW TO本 が沢山並んでいるのは、多くの人が人との雑談をする事で悩んでいると言う事ではないか?

「ゲーム」ルールと審判がゲームにとって大切な事。

ルールを飲み込めないと楽しくないし、ルールを知って参加しないと面白くない。

世の中はゲームだらけではないか?会社のルール(社長が審判)家族のルール(お互いが審判)。

国際関係は審判がいないので紛争が起こるのでは?

次々に対話が進んだ。

最後に今日の対話の感想等をあげてもらい会が終了した。

テーマを一つにしぼらずにいろいろ話が出来て良かったです。

いつもと趣向が違って新鮮でした。テーマが多いと話が盛り上がって楽しい雰囲気になりますね。また宜しくお願いします。

話題が多彩である。中高年らしいが・・・。

今までにないタイプの人生カフェだったが、いろいろな人の人生がかいま見える”人生カフェ”でした。

年を重ねた人たちは、どんな話題であっても発言に優しさが感じられる気がしました。

キーワードと言うのは面白い趣向だったと思います。後の方のキーワードについてももっといろいろ聞きたかったです。

今回進行役の二人が初めてだった事もあり、進行役お疲れ様でした。と言う労いのお言葉も頂いた。

時間の関係で一つのキーワードを深めるのは難しかったが、人生カフェの別のタイプ(Aタイプ、Bタイプ)において、今回出されたキーワードを生かしていくということも考えられる。

[第63回目の記録]

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63回人生カフェは、平成29826()10(男性6名、女性4)の参加で実施された。

今回は『14歳からの哲学』(池田晶子著 トランスビュー発行)を読むという読書会の形式をとった。「7 死をどう考えるか」のところを取り上げた。

皆で輪読をし、死に関する問いをあげてもらった。

「死んだら生まれ変わるの?」「死というものがなかったらどうなるのか?」「死と生は同じことなのか?」「死ぬときは予め決められているのか?」「死とは何かについて何故いろいろな考えが出てくるのか?」「幽霊は何の為に出て来るのか?」「死に近づいている人と死について話す事とは?」「死はいいことではないのか?」「死ぬ時は苦しいのだろうか?」「死の何がイヤなのか?」「死をなぜ悲しいと思うのか?」「死は敗北だろうか?」

「死とは何か?」を踏まえてフリーに対話してもらった。

まずは不死について。

「ガリバー旅行記 スウィフト著」の大きな島国であるラグナグ王国に着いたガリヴァーは不死人間ストラルドブラグの噂を聞かされ、最初は自分がストラルドブラグであったならいかに輝かしい人生を送れるであろうかと夢想する。しかし、ストラルドブラグは不死ではあるが不老ではないため老衰から逃れることはできないという章、そして映画の「永遠に美しく」不死の話が出る。

実生活の話しではご高齢の親御さんの介護(なだらかに死に近づいている。薬などを止める看取り介護)の事。

死ぬのはどのタイミングか。意識がなくなる時?心臓が止まる時?どういった時が死か?死んだら生まれ変わるなら死はないのか?

天才ピアニスト天才子役などは前世の経験から今生で天才と呼ばれるのでは?勉強しよう向上しようと思うのは、今回限りの人生ではなく生まれ変わるからではないか?

人は167時間寝ている。死の疑似体験か?死んだらこうなるのか?夢を見ている状態か?死=睡眠ではないのか?意識が無い状態、無を味わう。

死はコインの表裏のような何かの表と裏の存在のようなイメージがある。

電球に電気が走って電気がつくのが生、消えるのが死のイメージ。

死んだら火の鳥の中に入って行くイメージ。

幸福に生きる、幽霊がいると思う、死後の世界がある、輪廻転生がある、そう言う風に思った方が楽しい。

生まれて来た時が始点、死が終点、間が人生。生まれて来た事が不思議。じゃあ人生とは何か?

などと沢山の対話が行われた。

最後に今日の対話の感想等をあげてもらい会が終了した。

死とはいいことであると思った。死ぬ時はよろこびを持って死んでいきたい。生きることを全うしたうえで。

死は  ない。死には結論がない。死ぬと死がどういうことかをだれにも教えることができない。

死ぬ事を考える時間が有ったら生きる事を考えろ!!

死を考えることは生きることを考えること。「死」があるから「生」が輝きを増すと思う。

人それぞれずいぶん考え方が違うものだなと思った。死の訪れ方にもよるが、死が「やすらぎ」であるケースも多いと思う。そう願いたい。

若い死、年老いた死、ペットの死は自分にとって違うもの。

「死」という言葉でどういうこと(状態)を言おうとしているのか?

人によっていろいろな考え方があることを再認識。とはいえ人類共通の考え方もある。それをどう考えるか?

その人にとって、元気が出る死生観がやっぱりいいなあ!

死について問いはつきない。

次回「14歳からの哲学」は9/23(土)「人生の意味とは何か」へ続く。

[第62回目の記録]

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第62回人生カフェは、平成29年8月5日(土)、9名(男性5名、女性4名)の参加で実施された。
※ファシリテーターは岩崎さんでした。
この日はBタイプということで、まず、参加者にテーマにするための「問い」を出してもらった。
出された問いは以下の通りである。...
▲全体主義の母胎としての大衆社会、それは日本ではないか?
▲初心とは?
▲エロい表現は、なぜ、バカにされたり規制されるのか?
▲人の不幸を想像するのに、訓練や経験は必要か?
▲身体の病気とは何か?
▲思い込み、先入観、固定観念は、意識すれば解放されるのか?
テーマを出し合うこと、また、そのなかからテーマを1つに絞り込むにあたり、今回は時間をかけて丁寧に行われた。
その結果、「人の不幸を想像するのに、訓練や経験は必要か?」に決まった。
ここからいよいよ本題の対話に入っていく。
出された意見は以下である。
◆人の不幸を想像できないのが、逆に当たり前という考えもある。
◆人のことを想像することができるのが知性だと思う。
◆「老い」について、若い人は想像しづらい。
◆不幸は世の中にたくさんある。その不幸を全て想像することは不可能であるし、その必要は果たしてあるのか?
◆そもそも、不幸な人を想像する必要はあるのか?
◆弱者を憐れんではいけない(ニーチェ)ーーーという言葉があるが、弱さを武器にする“弱者の強さ”という例もある。
◆ルソーの言う「人間はどうして人に対して憐れみを持ってしまうのか?」を考えるに、人間はひとりでは生きていけないからではないかと思う。
◆単なる憐れみ(逆差別)ではよくないし、助け合いの精神が大切だと思う。
◆映画や小説など、文化に触れることで創造力を養い、人の不幸を慮れる人間になりたい。
◆共同体が失われつつある今の社会に於いて、行政に頼らざるを得ないのが現状ではないか。社会的強者が手を差しのべることが必要ではないか。
◆幸不幸は主観的なものだが、そこを内面的に入っていって想像することが私にはできると思っている。
◆客観的に見て、幸せな状態の人の不幸を想像する必要はない。
◆不幸を社会的なもの、個人的なものとに分けて考えたら、私は如何に過去を埋め合わせて生きるかを考えていきたい。
最後に、対話を通しての各自の感想を述べてもらった。
●まるで沖縄の離島にでもいるような、夏っぽい、スローな雰囲気を味わえた。
●頭のなかで考えていることを言葉に出せないうちに、人が代弁してくれるかのように意見を出してくれるのに感心してしまった。
●弱い人に注目して助けていきたい。
●出自に関係のない、機会均等の世の中であってほしい。
●発話者としての反省をした。(丁寧な言葉遣いの人のいるなかで、自分はネガティブで貧乏性である)
●社会的不幸、個人的不幸に対し、想像することはどんな意味があるだろうと改めて考えたい。
●言葉を纏めず、思ったことを発言すればいいのかなと思った。
●最後に共鳴した感じがよかった。
●想像すること、思い遣ることの豊かさを深く感じられた。
以上、様々な視点から意見が出された。
人の幸不幸は一概に決めつけられるものではないが、少なくとも、人はひとりで生きていけるものでないのなら、自分からみて不幸と思える人、困っている人、悩んでいる人が周囲にいたら、創造力を働かせ、心を寄り添わせ、できる範囲の手助けはしていきたいものであると、今回のテーマは考えさせてくれた。

【第61回目の記録】

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第61回人生カフェは平成29年7月22日(土)、6名(男性3名、女性3名)の参加によって実施された。
 今回は『14歳からの哲学』(池田晶子著 トランスビュー発行)を読むという読書会の形式をとった。「10 他人とは何か」のところを取り上げた。
 まずは、各自が共感したところをフリップに書いてもらった。(頭の数字は本のページ数)
67:考えているのは自分だし、見ているのも自分である。自分でないものが考えたり見たりしているということはありえない。
69:そのとき、人はどこかでその人は自分だと知っているんだ。
69:大きい方の自分のいちばん深いところでは自分はすべてであり、また事実すべてとつながっているということだ。
70:「自分」を巡る不思議の輪
66:自分というのは絶対的な存在なんだ。
後半は、逆に、各自が疑問に思ったことをフリップに書いてもらった。
69:「自分の外に存在する他人」という言い方で、人は何を言っていることになるのだろうか(2名)
68:世界も他人も存在するんだ。すべてが自分として存在するんだ。
66:自分の存在は他人の存在に少しも依っていない。
65:「自分が思う」ということの自由と不自由。これに気づくことが本当の自由ということなんだ。
69:メビウスの輪?
これらを踏まえて、フリーに対話した。
大きな自分と言うのは、例えば自然の中に入った時・森や山などに包み込まれて自分もその一部になった感じを言うのではないか?
著者池田晶子氏はこの本で何かを伝えたいのではなく、考えるきっかけになる事を望んでいるのではないだろうか?
他人とは何かという章でだが、やはり自分について深く考えさせられる内容になっているのではないか?
この本で何か結論を出すと言うより、この本を題材にそのテーマを語り合う(考え合う)事が良いのではないか?とまたまたモヤモヤしたまま時間がきた。
この読書会は、今後、「死とは何か」「人生の意味とは何か」というテーマで深めていく。「自分とは何か」を土台にして、展開していきたい。
最後に、参加者各自にフリップに書いてもらった。
今日も「14歳の哲学」を読み、大人が首をかしげて考えた時間が楽しかった。
自己とは世界と無媒介的に存立するものではないと思う。世界との関係性、世界の意味性を考えたい。
現実的になかなか他人と自分は同一であると意識することは難しいので、やはり他人に対しては思いやりや想像力を働かせ心を寄り添わすことが大切かと思った。
今日は一章だけについて話し合ったせいか、大分深く掘り下げられた様で楽しかったです。
他人(ひと)を大切にするとか他人(ひと)の気持ちを大切にすることの意味がさらに深まった。
他人の得体の知れない感じを改めて考えてみたい。この謎が楽しい。

【第60回目の記録】

第60回の人生カフェは、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。
平成29年7月14日(金)午後7時からスタートしたが、男性6名、女性4名、合計10名の人が集まってくれた。

前半で各人から「問い」を出してもらい、そのなかから、自薦、他薦でテーマを一つに絞る。
後半、そのテーマを皮切りに対話をするやり方ですすめることとし、スタートした。

...

各人から出されたのは次の11テーマ。
1.なんで人と比べるのか?
2.人間関係においてボランティアとは何か?
3.責任とは何か?
4.関心を持つことによって人や社会を動かすことができるのか?
5.喉(のど)ってなんだろう?
6.人はなぜ噂をするのか?
7.いいことでも人から言われてやるのはなぜ嫌なんだろうか?
8.会話をしないってどういうことなんだろうか?
9.人間関係において暴力ってなんだろうか?
10.なんで大きな夢が良いように思われているか?
11.歳をとるって悪いことなんだろうか?
小一時間後、テーマが出尽くした感もあり、テーマに絞ることとなり、
 8.会話をしないってどういうことなんだろうか
 11.歳をとるって悪いことなんだろうか
に絞られ、その後、8を今日のテーマしようとの場の雰囲気が出てきたので、
このテーマをにすることになった。

このテーマを出された方は、会社で誰とも会話しないが、メールやSNSではいろんな人とやり取りする(家ではゲームばかり)同僚がいて、
「会話をしないってどういうことなんだろうか?」と疑問に思っていたとのこと。
(非難や怒りという感情でもない様子)

そこから、
◇本当にコミュニケーション手段にリアルな会話が必要か?
◇今の若者のコミュニケーションのやり方と中高年のコミュニケーションの取り方の違い。
◇インターネットやメール、SNSが普及してから変わったのではないか。
◇会話をしない人は、会話をするのが苦手なだけではないか?
◇AIの進化により、会話が苦手な人も思っていることを代わりにAIがコミュニケーションをしてくれる時代はくるのではないか。
等々の意見がでて、時間となった。

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【第59回目の記録】

対話と人間関係

14 第59回人生カフェは平成29年7月8日(土)、13名(男性4名、女性9名)の参加によって実施された。
 今回は岩崎博明さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。今回は途中2回の休憩を挟みながら、最初から最後まで、このスタイルで実施した。
 テーマは「対話と人間関係」であった。

 まずは、「対話」と「会話」の違い、また、「おしゃべり」との違い、さらに「議論」との違いなどが話し合われた。
 対話とは、哲学カフェなどでよく使われる言葉ということからして、主に理性を使って、ひとつのテーマについて、考えや価値観が異なる者同士が集まって話をするというイメージがある。これと対比すると、会話は、感情面も多く含まれ、特に明確なテーマもなく(話題は絶えず変化していく)、どちらかというと同じようなタイプの者が集まって話をするというイメージがある。
 対話とは、哲学カフェでの意味合いも超えて捉えると、お互いが言葉を通して理解し合うことであるとも言える。
 それで、そのような対話は人間関係とどのような関係にあるだろうか?一般に対話は人間関係を良くしていくというように考えられていると思われるが、果たしてそうだろうか?
 確かに、単なるおしゃべりではなくて、対話を重ねていかないと人間関係が深まらないということはある。また、お互いを理解しようと努力していくのだから、対話というのは人間関係を悪くしていくようには思われない。しかしながら、、必ずしも常に人間関係を濃く、太く、良くしていくとは限らないのではないか。
 相手を理解していくことによって、相手とのパーソナル・スペースや相手との境界線(バウンダリー)がよく見えてくる。これによって、人間関係が促進されることもあれば、逆に、相手と距離を置いたり、場合によっては相手との関係を断つこともある。

 対話は、1対1のような関係の場合もあれば、1対多のような関係の場合(一般の哲学カフェがそうである)もある。これを同じように対話と捉える意義は何だろうか。
 どうもポイントは自分の方にありそうである。自分の心の開き具合(オープン度)、自分の他者への見方や姿勢、自分に対する捉え方の変化などが対話の質を変えていく。それは大きく捉えれば、自分対他者の関係であり、あとは他者の方の数が1,2,3、…と変化していくだけともいえる。(もちろん、他人も生身の人間であり、それぞれ個性があるのは当然ではあるが)

 最後に、参加者各自から、気づいたことや新たな問い、感想などを発表してもらって、閉会した。

【第58回目の記録】

自分とは何か

10 第58回人生カフェは平成29年6月24日(土)、12名(男性7名、女性5名)の参加によって実施された。
 今回は『14歳からの哲学』(池田晶子著 トランスビュー発行)を読むという読書会の形式をとった。「6 自分とは誰か」「7 死をどう考えるか」「8 体の見方」「9 心はどこにある」のところを取り上げた。これらを貫くテーマが「自分とは何か」である。
 まずは、各自が共感したところをフリップに書いてもらった。(頭の数字は本のページ数)
40:世界を作っているのは、じつは自分なんだ。
43:自分を脳とばかり思い込んでいるのは正しくないんだ。
49:けれども、もし自分は死なないとしたら、なぜ君は生まれてきたのだろう。
50:生死の不思議とは、実は、「ある」と「ない」の不思議なんだ。
51:自分で考えてごらん。当たり前のことを考えるよりも面白いことはないのだから。(2人)
55:体はそれ自体が自然なんだ。
57:死ぬ自分と死なない自分と、二つの自分があるのだろうか。
57:自分の所有物は自分でないんだから、それが自分の思うようにならないのは当然じゃないんだろうか。
61:(その意味では)心とはすべてなんだ。体のどこかに心があるのではなくて、心がすべてとしてあるんだ。
62:同じ目に見えないものの中でも、動いて変わる部分と動きも変わりもしない部分とがある。
63:悩まないで、考えてゆけるんだ。

 後半は、逆に、各自が疑問に思ったことをフリップに書いてもらった。(*印は上記の共感したところにも取り上げられたところ)
40:ただ自分だったんだ。
40:世界を作っているのは、じつは自分なんだ。 *
41:自分は自分であって、自分以外の何ものでもありません。
46:死体とは死とは同じものではない。(2人)
50:生死の不思議とは、実は、「ある」と「ない」の不思議なんだ。 *
57:自分が二つあるなら、それは他人じゃないだろうか。
66:ただ自分であるということは、他人がいるから自分であるのではなく……その自分としてあるということだ。
◎:「考える」って何だろう?

 これらを踏まえて、フリーに対話した。
 哲学とは、考えていく上での定規=ものさしを探求することではないか、といった話が出た。その考えることにこだわり、子どもたちが考え続けることを励まし、檄を飛ばしていたのが池田晶子である。
 池田晶子が導き出した結論は荒削りのものがあるが、子どもたちが考える素材にはなっている。反論もしやすい。それがまた魅力にもなっている。
 その結論には、「現象」と「本質」が混同されているところも見られる。我々読者も混乱する。これもまた魅力のひとつになる。

 この読書会は、今後、「他人とは何か」「死とは何か」「人生の意味とは何か」というテーマで深めていく。「自分とは何か」を土台にして、展開していきたい。

 最後に、参加者各自にフリップに書いてもらった。
〇当たり前のことを考えると悩める。
〇抽象的になり過ぎず、具体的事象に裏付けて皆に考えを伝えることの難しさに苦労しています。
〇方法論としてもう一度読みたい。自分と他人の境目、自分とそうじゃないものの境目があるのか、あるとしたらどこなんだろう?体でいいのか?
〇ちょっと誤解を生む表現が多い、毒にも薬にもなり得る本だと感じています。
〇学び方の方法として共感できそうではあります。しかし、その後の施策の方向性はちょっと違和感が出てきそうです。
〇絶対的な自分は死ぬのか?死なないのか?
〇死なない自分に興味あります! 現象と実体の混同に注意
〇「存在と現象」について、もっと考えてみたい。「考えすぎちゃう」
〇自分とは、存在なのか…? 現象なのか…?
〇「自分」とは何かを改めて、じっくり、考えてみたい。面白い。
〇自分とは何か?を大切にしたい。
〇自分では全く思いつかないような解釈や意見がとても興味深く楽しかったです。

【第57回目の記録】

真面目ってどういうことだろう?

797 第57回人生カフェは、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。この形での実施は6回目である。
 平成29年6月16日(金)午後7時からスタートしたが、男性4名、女性6名、合計10名の人が集まってくれた。
 最初に各人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かる。
①「ヤバイ」という言葉はなぜ流行っているのか?
②したい仕事ってどこにあるのですか?
③空気って何だろう?
④友だちって何だろう・
⑤人生って何だろう?
⑥真面目ってどういうことだろう?
⑦どうして熟議はできないのだろうか?

 この中から、今回は「真面目ってどういうことだろう?」というテーマが選ばれた。

 「真面目」とは、物事に真剣に取り組む姿勢を言ったり、こつこつと努力していく様を表現したりと、プラスの意味に使われる。古くはこちらの方の意味が強かったようにも思われる。
 一方、真面目は、融通が利かない、視野が狭い、面白くないなどのマイナスのイメージもある。最近はこちらの方の意味で使われることも多い気がする。疑いを持たないで行動するという点では、能天気で幼稚な面も指摘できるかもしれない。
 だから、「不真面目」は敬遠されるかもしれないが、「非真面目」は推奨できる面がある。すなわち、物事を多角的かつ柔軟に見て、対応していくことが求められている。……

 このように、真面目ということについて、自分の体験した事例なども踏まえながら対話をしていくと、2時間はあっという間に過ぎた。10人全員が何かしらの発言ができ、聞き合うことができたのはよかった。

【第56回目の記録】

幸福は人生の目的か?

Imagesn6hmswh4 第56回人生カフェは平成29年6月10日(土)、12名(男性5名、女性7名)の参加によって実施された。
 人生カフェが始まってから満3年が経過した。6月は人生カフェ誕生を記念して、毎年「幸福」をテーマに実施することにしている。今年は、「幸福は人生の目的か?」というテーマにした。
 最初に、「幸福は人生の目的か?」という問いに対して、①YES、②NO、③どちらでもない、の3つの内、自分はどれに当たるかを聞いてみた。①が6人、②が3人、③が3人に分かれた。それぞれの理由を書いてもらった。
①YES
*実感
*いくつかの人生の目的のまとめ的なものだから。
*共通性
*「幸せな人生だった」と思って、終わりたいから。
*幸福は内面のことなので、自分の内面に責任を持つ必要があるから。
*国連が毎年3月20日を「世界幸福デー」としているから。
②NO
*漠然としているから
*人生の目的が幸福だと考えた事がないので、そう思わない。
*色々なケイケンをする為に生きる事が人生の目的。
③どちらでもない
*「幸福」、「人生の目的」、両方よく分からない。
*そもそも「幸福」とは何……?「幸福と不幸」の基準や境界線はどこにあるのか……?
*目的というより、いかに「気づく」ことだと思う。「見い出す」かということだと思う。
*幸福はあくまでも希求するものであり、目的というには少し違和感を感じる。

 これらを出発点として対話が展開する。
 幸福は現在の「快」の感覚を基本とするが、未来へ向けて目的意識を持って追求するという側面もある。一方で、現在から過去へ向けて感謝の気持ちを抱くことによって、幸福感を得ることもある。
 自分を大切にし、自分らしさを追求することもあるが、他人を無視しての幸福はあり得ない。他人との共感性が幸福の要素でもある。
 それでは他人との「比較」は幸福をもたらすだろうか。人格全体を比較するなんてことは不可能だし、部分を比較することによって、優越を競い合うことは幸福に結びつくとは思えない。
 マズローの欲求5段階説も登場した。また、お金、地位、健康などを所有すること(having)よりも、行為すること(doing)、存在すること(being)への価値を認める人が多かった。
 今回は、どちらかというと心理学的なアプローチで幸福に迫る傾向が強かった。「人生の目的」ということを考えていく場合は、どうしても哲学的なアプローチが求められるだろう。ここまでには至らずに、時間になった。

 最後に、各自にフリップに書いてもらった。
*中高年の幸福論ってあるのか?
*幸福は人生の目的ではないという考えが変わったらおもしろいなぁ……と思う。
*幸福には様々なものがあるが、人は真の幸福を見極め、それを求めるべきであろう。
*人生の目的、幸福は考え続けるもの
*現実としては、お金も仕事も健康も大事。ただし、「こうありたい」という理想の自分(の生き方)は、常に考え続けていたい。
*自分の幸福のために、他者の不幸が必要となるか?
*人生の目的は幸福に生きることである。その幸福は自分の心が決める。幸せは自分の回りにある。
*自分自身にとっての良い(快)感情に素直に居れたら、幸福に近づいていけるのかな…
*私にとって「幸福」とは何か?もやもやしてたものがいくらかみえてきた感じです。
*幸福と思えば幸福。不幸と思えば不幸。幸福は人生の目的というより、今ある幸福に気づくこと。
*①気づいたこと~男性と女性との違い ②新たな問い~自分にとっての幸福の確認  ③すごく面白い議論でした。テーマによっては、また参加したいです。
*①とりあえずの結論~幸せは自分の心が決める ③あっという間に時間が過ぎました。楽しかったです。

【第55回目の記録】

人生上の悩みをテーマとする哲学カフェ

9 第55回人生カフェは平成29年5月27日(土)、9名(男性5名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は「人生上の悩みをテーマとする哲学カフェ」というものである。
 まずは一人の人にに自らの人生上の悩みの一つを10分くらいで語ってもらう。その後、その人に話が分かりにくかったところなどを参加者から質問をし、答えてもらう。それから、その話から、一つだけ対話のテーマを抽出する。そして、一つのテーマに1時間くらい対話をする。悩みの内容は、重いものでも軽いものでも、心の問題でもそうでなくても、いいとしている。
 今回は2人の人に自らの悩みを話してもらった。(内容の詳細は個人情報の関係で記載できないので、対話を行ったメインテーマなどを掲げる。)

①本能とは何か?
 「悩むな、考えろ」という池田晶子さんの言葉が響いている。
 悩むとは、感情、さらに言えば、本能に近いものではないか。それに対して、考えるは、「理性」的なものである。だからこそ、今、本能や自然というものを考えてみたくなったのである。

②愛の力とは何か?
 若い人からの話であった。
 「社会制度と愛」、これは広く一般の人間を愛することと、個別特定の人を愛することとの対比とも言える。
 そういった中で、愛の力とは何か?
 愛は原子力のようなものである。ものすごい力を有するが、危険でもある。どう扱うか?そもそも扱うことなどできるのか?
 恋愛をめぐっては、世代間格差が感じられる。若者の間でも、「恋愛格差」はある。もちろん、いつの時代でも、個人差は当然ある。
 現代の若者は、ラインやツイッターなどが基本装備されている環境である。メディア、ツールが異なれば、愛の形も変わる。

 最後に、参加者にフリップに書いてもらった。
「鎧(よろい)とは何か?大人とは何か?」
「今(現代)の人たちのコミュニケーションはたいへんだなぁと思いました」
「愛とは何だろう?」
「愛は爆発と管理の繰り返しだ!!」
「愚直であることをもっと見直そう。 Fall in love (恋に落ちる)」
「私たちは『愛しづらい時代』 を生きているだろうか?」
「恋愛は理屈じゃない! 実践あるのみ」

【第54回目の記録】

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519()19:0021:00

会場: 新宿区立消費生活センター分館 会議室
ファシリテーター岩崎

参加者は5名でした。(男性2名、女性3名)
小人数だったため、
この日はおしゃべり哲学対話的な雰囲気でいきましょう!となった。

始めに、各自からテーマを出してもらった。

・人間の本質とは何か?
・集団が異物を排除しようとするのは何故か?
・いじめとは何か?
・ユーモアな人ってどんな人?
・何故 人は依存するのか?

以上5つであったが、多数決により、「何故 人は依存するのか?」に決まった。

そもそも依存とは何なのか……

アルコール依存症、ネット依存スマホ依存、共依存、などのキーワードが浮かぶが、その根底には弱さや寂しさ、甘えの構造があるのではないか。
依存の対義語が自立、独立であるなら、依存は何かに頼らなければ居られないという、やはり精神的な弱さの現れであるのか
自分は依存はしていないと思っていたが、スマホ依存や、親との関係などを考えれば、やはり何らかの依存があるのかと思った。
依存と聞いてもあまりピンとこない。幼少期には親に依存していたと思うが、今は依存の自覚はあまりない。
人への依存はないと自覚していたが、今は亡き親への依存など、考えれば何らかの依存があるかも知れない。
子供との共依存の自覚がある。
「依存」について、もっと
話を掘り下げたい。

などの意見・感想だった。

依存の自覚があるなしにかかわらず、現代人は何かしらに依存して生きているのではないかと思われるが、果たしてどうなのか……2時間という限られた時間はあっという間に過ぎ、もっと話を続けたかったいう余韻を引き摺りながら会を閉じた。

【第53回目の記録】

気持ちを大事にするとはどういうことだろう…?

Wedding_ill_009 第53回人生カフェは平成29年5月13日(土)、12名(男性5名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回は岩崎博明さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。今回は途中2回の休憩を挟みながら、最初から最後まで、このスタイルで実施した。
 テーマは「気持ちを大事にするとはどういうことだろう…?」であった。

 気持ちといっても、「自分の気持ち」と「他人の気持ち」がある。当然自分の気持ちの方が優先されそうではあるが、自分の気持ちが分からなくなることもある。自分の気持ちにきちんと気づくことは、それなりに大切なことだ。
 そして、他人の気持ちを気遣う。自分の気持ちと他人の気持ちをどう調整していくのか。
 「プラスの気持ち」(喜び、楽しみなど)と「マイナスの気持ち」(怒り、妬み、恨みなど)がある。他人のプラスの気持ちに対しては共感しやすい。しかし、マイナスの気持ちに対しては共感はしにくいし、調整も難しい。
 「アサーション」という方法が示された。アサーションとは、自分と相手を大切にする表現方法だと言われている。その方法の一つとして、「I(アイ)メッセージ」ということも提示された。すなわち、相手を非難するのではなく、I(私)の気持ちの方を素直に相手に伝えるという方法である。

 気持ちの捉え方で、男女差というような話にもなった。個人差は当然あるが、女性は「共感」を求め、男性は「解決」を求めるという傾向である。このように男女の違いはあるかもしれないが、気持ちを大事にしようとしている点では同じとも言える。
 気持ちを「感情」とほぼ同じに考えるのが一般的ではあると思うが、気持ちを理性(論理性)も含めた「心」や「魂」に近い、広義の捉え方も十分にあり得る。
 いずれにせよ、気持ちを大事にするということは、単純に自他の感情に溺れていくこととは異なる。自他の気持ちの違いを感じ取り、そのズレを調整したり、あるいは気持ちを育てたり、新たに生み出していくといった、寄り添い、擦り合わせていく努力は大切なようである。

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【第52回目の記録】

人が変わるとは何か?

11_2 第52回人生カフェは、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。この形での実施は4回目である。
 平成29年4月28日(金)午後7時からスタートしたが、男性8名、女性1名、合計9名の人が集まってくれた。
 最初に各人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①嫌な仕事環境でも楽しく働けるか?
②あなたは何を優先しますか?(健康、お金、家族、仕事、人間関係)
③怒りとは何か?
④許すとは何か・
⑤人はなぜ物語を作るのか?
⑥人は変わるのか?

 テーマを一つに絞っていくに当たって、⑥の「人は変わるのか?」をめぐっての話が多く出た。「何をもって人は変わるといえるのか?」といったテーマなども出される中、最終的には今回は「人が変わるとは何か?」というテーマに決定した。

 「変わる」といっても、自分が変わることと他人が変わることとでは意味合いはかなり異なる。
 また、自分が変わったと主観的に捉えていても、外から見た客観的には変わっていないようなこともある。
 意図的に自らを変えようとして、大いに学ぼうとすることもあるが、環境の影響で非意図的に変わってしまうこともある。
 どの部分が変わるのか?「考え」のところか、「行動」のところか、「人格」のところか。レベルが違うような気がする。
 人が変わることの根源を探っていくと、人の意志や動機といったところが見えてくる。深いところのその人の欲求・欲望といえるものかもしれない。
 それらが連続して、習慣のようになっていたものが、ある時断裂的に変化する。その時はさすがに自分が変化した感覚を持つ。心の中に吹いていた風の風向きが変わってしまった感じである……。

 テーマを決めるのに1時間、そのテーマについて対話を展開したのが1時間、凝縮した2時間であった。

【第51回目の記録】

「考える」「言葉」

10  第51回人生カフェは平成29年4月22日(土)、10名(男性6名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は『14歳からの哲学』(池田晶子著 トランスビュー発行)を読むという読書会の形式をとった。
 まずは、1~3の「考える」というテーマのところから、各自印象に残ったところをフリップに書いてもらった。
「「自分が思う」ということはいったいどういうことなんだろう」(5P)
「悩むな、考えろ」(9P)
「わかって悩んでいるのか?」(9P)
「意見自体正しいだろうか、間違っているだろうか?」(12P)
「「考える」ことによって正しい定規を手に入れる」(16P)
「自分ひとりだけの正しい定規ではなくて誰にとっても正しい定規、たったひとつの正しい定規だ」(16P)
「君は本当のことだけを知りたくないか」(18P)
「本当のことを本当のことだけを知りたいとは思わないか」(18P)
「「不思議」の感じこそが本当のことを知るための最初の最初の鍵穴だ。不思議の扉は宇宙の果てまで開いてゆくことができるんだ」(23P)
「「誰にとっても正しいこと」というのは、「みんなが正しいと思っていること」ではない」(23P)
 以上を踏まえて、対話をした。「考える」と「感じる」、「思う」との違いは何か。特に「考える」と「悩む」をめぐっての対話が活発に行われた。

 次に、4~5の「言葉」というテーマのところから、各自印象に残ったところをフリップに書いてもらった。
「物が先か、言葉が先か」(26P)
「過去、現在、未来から別の星や宇宙のことまで言葉というものに不思議な力」(28P)
「人の数だけ人がいるのに、言葉の意味はすべての人に共通してたたひとつなのはなぜなんだろう」(35P)
「言葉というものは、自分の中にあると同時に、また自分の外にある」(36P)
「言葉こそが現実を作っている」(2人)(36P)
「言葉を大事にするということが、自分を大事にするということなんだ」(36P)
「目に見える物だけが現実だと思い込んで一生を終えるなんて、あんまり空しい人生だと思わないか」(36P)
 以上を踏まえて「言葉」について対話した。言葉がないと考えることができないのではないか、世界を認識できないのではないか、といったことをめぐって展開した。

 最後に、今日の対話について、各人にフリップに書いてもらった。
「感じる→思う→考える 言葉を大事にする事、自分を大事にするという事かなあ?」
「悩みとは何だと改めて考える。だって、不安だし、イライラするし、苦しかったりするものだから」
「「考える」ことをするには言葉が不可欠。言葉は言霊と言われるように、言葉を単なる言葉ではなく、発する者の心をこめたら、言葉が生かされ、受け取る側に伝わるのかな?」
「言葉を大切にするとは、言葉―世界―私というものが生じているという事実=世界の分節の機能としての言葉が機能している。という事実に対しての「落としまえ」は言葉によって言葉の限界に向かうことでしかなしえないだろうと思います。その意味でのみ、言葉は大切にしなければならないと思うし、哲学は必要かな。身体知の問題はこのことと矛盾するのかな?」
「言い切れないこととわかっているのに、池田さんはなぜ言い切るのだろうか。言葉として正確ではないのでは」
「こうして考える事こそ、池田晶子さんの望み(?)なのかな」
「頭の中がより整理できた。とても面白かった!言葉を正確に使うことで解決できる問題もたくさんある」
「各人の着眼の共通する所とばらつく所、多々あっておもしろかった。考え抜くこと、ある意味自縄自縛になるまで突き進めることを大事にしたい」
「こういう機会がなければ絶対読まないであろう本と、めぐりあった気がしています」

 

【第50回目の記録】

いい人ってどんな人だろう?

Imagesuvbw3cjv ちょうど第50回目に当たる人生カフェは、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。この形での実施は3回目である。
 平成29年4月14日(金)午後7時からスタートしたが、男性4名、女性4名、合計8名の人が集まってくれた。
 最初に各人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①めんどうくさいって何だろう?
②友だちとは何か?
③国って何だろう?
④天職って何だろう?
⑤いい人ってどんな人だろう?
⑥人間関係とはどうあるべきか?
⑦キムタクは悪者か?
⑧かわいいって、なーに?

 この中から今回は「いい人ってどんな人だろう?」がメインテーマとして選ばれた。

 「いい人」とは多義的な言葉である。ポジティブに使われる場合もあれば、若干揶揄的にネガティブに使われる場合もある。単にお人よしで、他人にいいように使われている人を指す場合もありそうである。
 この曖昧さから、適当に使われる言葉であり、多用もされている。
 もちろん素直にポジティブに使われ、自分に対して言ってくれると、うれしくなったりする。だから、できるなら明るくいい方に使いたいものである。

【第49回目の記録】

なぜ人は学ぶのか?

5 第49回人生カフェは平成29年4月8日(土)、14名(男性7名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「なぜ人は学ぶのか?」であった。
 最初に、参加者からテーマに関する自らの問いを出してもらった。
 「学びって何?なぜ必要とおもうのかな?」
 「学ぶとどうなる?」「勉強に何を期待しているのか?」「「学ぶ」ことで得られるもの、失くすもの……はあるのか?」
 「学びと勉強は違う意味?」「勉強と習慣の違いは?」
 「学ぶことは苦しいか?楽しいか?」「学ぶことの辛さは楽しさを導くか?」
 「人から押しつけられると学ぶのがつまらなくなるのはなぜか?」「「自分の頭で考える」とはどういうことか?」
 「どういう時に学びたくなるのか?」「学ぶことが大事だと思ったことはあるか?どんな時か?」
 「学びたいと思うジャンルはどう変わるのか?」「目的は学び自体か?(プロセス?) 学ぶ内容が大事か?」
 「人により学ぶ量や深さに違いが出るのはなぜか?(違いがないかもしれませんが)」「博識の人ほどより学びたがるのはなぜだろう?」「学ばない人はいるのか?」
 「役に立たないことを学ぶ意味は?」「答えのない問題をどう学ぶか?」「高度産業社会の中で、人文学(文学、哲学、歴史学、宗教学)を学ぶことの意義・意味は何か?」
 「なぜ『もっと違う考え方がある』と思ってしまうのか?」「できないこと、できなかったことになぜ挑むのか?」
 「学びのない読書は無駄か?」
 「学校での勉強は嫌い、でも人生上の勉強、学びは好きかも?習うは一生!」

 以上の中で、まずは「役に立たないことを学ぶ意味は?」という問いに注目が集まった。大学の人文系の学部が社会にあまり役に立っていないのではないかということで、廃止や縮小の対象とされてきている。果たしてこれでいいのだろうか?あまりに短期的な視点に立っての役に立つか立たないかの判断になっていないか?現在の社会の知の枠組みそのものを問う人文系の学問は長期的に見れば、大いに人間や社会の役に立つものである。

 後半は、メインテーマ「なぜ人は学ぶのか?」を再び意識して、このテーマを軸に対話を展開した。今回はホワイトボードに発言された考えを書くなど、思考の流れをグラフィカルに見える工夫もしてみた。

 なぜ学ぶのかという理由に関しては、ひとつは生物として環境に適応していくため、あるいは人間として社会に適応していくためということがあります。一方で、個人として、自由を求め、個性を発揮していくために学ぶということもある。両者は時に対立し、葛藤する。これをさらなる学びによって克服していくことはできるだろうか?

 最後に一人一人にフリップに書いてもらった。
 「気づいたこと:学びのイメージ=勉強」
 「学びのイメージは勉強のイメージが強い。好奇心で学びをするというイメージはあまりない」
 「真理は汝を自由にする」
 「遊び心(心の余裕)をずっと持ち続けていたい。「自由」のために学び(学習)をしている/きた人のことを覚えていたい」
 「「生きづらさ」と「学び」も結びつくのかぁ……! という気づきのような、再確認のような」
 「生きづらさからの解放の手立ては「学び」だけ?」
 「学びとは、何かしらの変化を企図すること」
 「全知全能ではない私たちは、学び続ける宿命なのか?」
 「思考を深めるのは楽しい」
 「自分がイメージしていた「学ぶ」とはの対話とは違っていましたが、それだけに新鮮でした。若いと思っていても、ますます高齢者の学習に近い……?!笑」
 「学びながら遊び、遊びながら学ぶ。中高年の人生カフェは私にとっての習慣なり!」
 「過学習、偏学習は専門バカにする?」
 「エントロピーを増大させない→「あこがれ」  ファシリテーション・グラフィックを勉強しよう」
 「生物学的に環境に適応するとはどんなことか」
 「「よい教育とは何か」 なぜ自己否定(苦しさ、知的好奇心の枯渇)を深めてしまう「教育」になってしまうのか。またどのような教育であれば、それを出さずにすむか。Personalisedされた教育はそれを克服することはできるが、逆に失われるものは何か?」

【第48回目の記録】

人生上の悩みをテーマとする哲学カフェ

Png6 第48回人生カフェは平成29年3月25日(土)、9名(男性5名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は「人生上の悩みをテーマとする哲学カフェ」というものである。
 まずは一人の人にに自らの人生上の悩みの一つを10分くらいで語ってもらう。それから、その話から、一つだけ対話のテーマを抽出する。一つのテーマに1時間くらい対話をする。悩みの内容は、重いものでも軽いものでも、心の問題でもそうでなくても、いいとしている。
 今回は3人の人に自らの悩みを話してもらった。(内容の詳細は個人情報の関係で記載できないので、対話を行ったメインテーマやサブテーマを掲げる。)
①中高年が働くとは?
 やる気(モティベーション)、職場の人間関係、職場での伝え方……
②人間の意識とは?
 霊とか、魂とか……
③仕事による自己疎外(自己否定)とは?

 悩みを語ってくれた人には、自分を出してくれたことに感謝したい。また、聞く側も聞く姿勢を持っていたので、話す方もそれなりに話しやすかったと思う。
 このような話やその後の対話といった展開は、普段の日常のなかではなかなかできないことである。家族や友だち同士なら、ある程度できると思われるが、お互いによくは知らなく、意見や考えがそれなりに異なる人たちの間でするというのはなかなかない。
 この場は意見や考えは異なるかもしれないが、ただ人の話をよく聞く、という姿勢は持ち続けている。この安全、安心の場を作っていることの意義は大きい。この共通認識があるから、人は自らの悩みもある程度話をすることができる。

 短い時間ではあったが、上記のテーマについて対話ができたことはとてもよかった。それは悩みを話した人も、聞き役だった人もそうであったと思う。

 最後に、参加者一人一人にフリップに書いてもらった。
「考えるということはどういうことか。知、情、意の集合体が意識であるとすれば、意識のありようが大切」
「社会とどう関わるか(ボランティアや社員として)、見えない領域とどう関わるか(心霊や探求)、という共通の悩みがあるように思えました。対立をどう克服するか、もしくは克服しない方がよいのか、対立したままにすべきなのか、と思いました」
「働くこと、意識、魂、霊……。疎外から学べ!疎外を感じ続けろ!」
「心は死んでいるが、実存は失っていない!」
「決心した時から、新しいスタートができる(切れる)」
「対話をするにはボキャブラリーが多い方が伝わるなぁ……と思いました」
「こういうところでお話をすると、自分のしゃべり方、考え方のクセが自分でよく分かります。それが自己分析や今後の大きなヒントになります」
「«仮面の告白»に耳を傾けてもらえるのは有難いものである」
「かたりあい、ききあい、つたえあい が自由にできた場!」
「悩むより思い、思うより考える。素直に人の話が聞けるのがよいかなぁ?」

【第47回目の記録】

働く意味って何だろう?

8_2 第47回人生カフェは、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。この形での実施は2回目である。
 平成29年3月17日(金)午後7時からスタートしたが、男性5名、女性4名、合計9名の人が集まってくれた。
 最初に何人かの人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①なぜテレビドラマは刑事もの、弁護士もの、病院ものが多いのか?
②なぜテレビドラマは勧善懲悪を好むのか?
③なぜテレビドラマはサクセスストーリーを好むのか?
④自己顕示欲は悪いことか?
⑤日本は宗教的寛容があるのに、同調圧力が強いのはなぜか?
⑥働く意味って何だろう?
⑦人生の生きがいとは?
⑧いいコミュニケーションって何だろう?
⑨言いっぱなし、聞きっぱなしのコミュニケーションって何だろう?
⑩なぜ人はウソをつくのか?

 今回は以上の中から、「働く意味って何だろう?」を後半の対話のテーマに選んだ。
 働くことの基底には、働くことから得る収入ということがある。経済的な自立をするためのお金のことである。このことを改めて認識しておくことから対話は展開していった。
 働くことによって、収入以外に本人にとってよいこととしては、例えば、能力が高まる、人間的な成長を得られる、新しい経験をできる、やりがいや生きがいを持てるなどがある。また、社会の一員として、社会への貢献をしているという面もある。
 一方で、やりがいを持てないといったことも起きる。仕事が忙しすぎたり、ルーティンワークばかりの仕事だったり、自分の能力よりはるかに低い仕事しか与えられなかったりとか、現実には生きがいに繋がらない仕事をせざるを得ない状況に追い込まれている場合も多い。厳しい現実がある。
 仕事にやりがいを持つことは理想である。しかし、仕事にやりがいを持てないからといって、その人の全人格が否定されるわけではない。仕事以外に生きがいを持っても、それはそれでOKである。周囲もそれを認める必要もある。

 最後に、一人一人、気づいたことや新たな問いや感想などを述べてもらった。
 その中で、「人や会社は変わらない。自分が変わることが出発点」という発言もあった。

【第46回目の記録】

伝えるとは何か

Png5 第46回人生カフェは平成29年3月11日(土)、11名(男性5名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は岩崎博明さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。今回は途中2回の休憩を挟みながら、最初から最後まで、このスタイルで実施した。
 テーマは「伝えるとは何か」であった。
 伝えるということは、「伝承」や「教える」といった意味合いなども含むものであるが、今回は主に日常的な人間関係の中で生じる会話とか対話とかいったレベルの話がなされた。
 伝えるというのは相手がいることである。相手が聞き、受け入れなければ、伝わったことにならない。
 相手が望まないことを一方的に伝えようとしていないか?伝えようとしていることが相手に対して暴力的になっていないか?このような疑問から対話はスタートした。
 伝えるということも、聞くや質問するといったこととともに、コミュニケーションを形成している。そのコミュニケーションがよくなされている場合には、そこに「共感」というものがありそうである。この共感というキーワードをめぐっても対話は展開した。
 伝えるということは、単に話し方のスキル(技術)を上げればうまくできるというものではない。伝えあうためには、お互いに聞きたいこと、話したいことの内容や気持ちをすり合わせていく努力も必要である。

 このようなことを自分の体験を交えて対話していくと、あっという間に3時間半が過ぎた。フリップに書くというような作業も行わずに、シンプルにただじっくりと対話をしたという感じであった。各人が新たに生じてきた問いを抱えつつ、会を終えた。

【第45回目の記録】

幸せになる勇気

9 第45回人生カフェは平成29年2月25日(土)、11名(男性2名、女性9名)の参加によって実施された。
 今回は、『幸せになる勇気』~自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ~(岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社)の読書会のような形式で実施した。
 最初に、参加者各人がこの本の中で気に入った個所(共感した個所)を挙げてもらった。キーワードを紙に書いてもらった。( )内は書いてあるところの本のページ数である。
「人間知」(37)
「尊敬とはありのままにその人を見ること」(40)
「どのような意味を与えるか」(61)
「悪いあの人、かわいそうなわたし」(69)
「共同体感覚は「身につける」ものではなく、己の内から「掘り起こす」もの」(148)
「「わたし」の価値を自らが決定すること。これを「自立」と呼びます」(152)
「わかり合えない存在だからこそ信じるしかない」(211)
「何もないところから築き上げるからこそ、愛のタスクは困難」(227)
「運命の人を求めるのではなく、運命といえるだけの関係を築き上げる」(267)
「幸せになりたかったのです」(269)
「最良の別れ」(277)
「いま、ここを真剣に生きる」(278)
……(他にもいくつかありました。)

 以上について、いくつか対話を展開した後、次に、この本について気になったこと(疑問に思ったこと)を挙げてもらった。
「どうしてほめてはいけないのか?」
「叱責はダメ」
「普通であることの勇気」
「「勇気」ということば」
「利己心を追求した先に「他者貢献」があるのです」
「最良の別れ」
……その他、「青年の立場」になって疑問を発し続けることや、この本を読んでいない人に接する場合の困難さなどが出ました。

 以上を踏まえて、フリーに対話をしたのだが、そのうちいくつかを紹介する。
 「ほめる」ことが禁止されているのが引っかかる。アドラーが言わんとしているのは、上下関係の上から目線で、競争意識をあおるようなほめ方はよくないということらしい。対等の仲間意識を大切にするという姿勢である。だから、例えば仲間同士で、励まし合うような「ほめる」はよさそうな気がする。
 幸せになることと「楽になること」との関係について。単に、楽に、楽にということでは幸せとは言えないかもしれない。それなりの苦労(苦味)が幸せを豊かにする。でも、楽にではなく、楽しいということなら、これはそれほど悪くないかもしれない。
 やはり多くが語られたのは、この本が説くところのアドラーの考え方の実行性である。この理論に一定程度共感していても、実際に行動することは難しいことが多い。この本でも、シンプルに継続して実行することはたいへんであると述べている。

 最後に、一人ずつ、フリップに書いて発表してもらった。
「愛⇒自分を好きになれば人も好きになれる。今日参加してくれた方々に感謝し、尊敬します。いま、ここ、幸せかなあ?」
「人は誰でもいまこの瞬間から幸せになることができる」
「本を読んで、いろいろなことが分かったような気がしたが、やはり分からなくなった。(愛するとは、どういうことか?)」
「わかったような、わからないような、モヤモヤ…感。実践は困難…」
「アドラー心理学ほど…(8P) とあるように難しく自分自身には理想かな?と思った。また、最良の別れ、死については、もっと話したいと思った」
「理論⇔実践 往復運動・らせん運動 それが自己啓発」
「アドラーに感銘を受けた理由が、私が「自己啓発」好きだからだと、今日分かった!」
「アドラーは私に勇気を与えてくれた」
「『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』大好き」
「しっかり本を読んできた人どうしのこの会を通じて、それぞれのとらえ方は本当に違うなーと再認識しました」
「不思議な集まりだった。 (頭の中の対話)→人との交流へ。 楽しかったです」

【第44回目の記録】

尊重するって、どういうことか?

8 第44回人生カフェは、初めての試みで、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。
 平成29年2月17日(金)午後7時からスタートしたが、男性7名、女性10名、合計17名もの人が集まってくれた。
 最初に何人かの人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①対等な人間関係とは何か?
②共依存とは何か?
③愛とは何か?
④尊重するって、どういうことか?
⑤文化と教養の違いは何か?
⑥教養は必要なのか?
⑦自殺はどうしてだめなのか?
⑧命は何よりも重いのか?
⑨運命って何だろう?
⑩恨みって何だろう?
⑪豊かさとは何か?
⑫人生の後半の生きがいって何だろう?
⑬仕事をする上でお金より大切にしている価値観とは?
⑭アメリカとは何か?

 この中から一つにテーマを絞っていく。今回は大きく分類すると、「人間関係」「文化・教養」「命」「その他人生一般」となるとの指摘があり、新たに「よい人間関係とは何か?」「死とは何か?」といった問いも提案された。その上で、大き過ぎでもなく、小さ過ぎでもなく、参加者が話しやすそうなテーマとして「尊重するって、どういうことか?」が選ばれた。

 後半はこのテーマに沿って、フリーに対話が展開した。
 自分を尊重することができて、他人も尊重できるということがあった。しかし、他人のことなど大体がよく分からないではないか。他人を尊重する基底には信頼関係というものがありそうだ。他人をよく分からなくても、尊重しようとする姿勢そのものが大切……。

 最後に、一人一言ずつ、気づいたこと、新たな問い、感想などを述べてもらった。
 動物でなく、人間だけが尊重ということができそうだ。「他者」というものが改めて気になってくる……。
 こんなことを述べた人もいた。「主に自分の考えを話す人がいる。主に自分のことを話す人がいる。」……

 初の試みであったが、2時間があっという間に過ぎた充実した時間であった。

【第43回目の記録】

「問う」とはどういうことだろう?

Medium_2201907500   第43回人生カフェは平成29年2月4日(土)、12名(男性6名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は本間が進行役(ファシリテーター)だった。前半は机を使い、フリップに書いてもらうなどをし、後半は机を使わず、全員が椅子に輪になって座り対話をした。
 今回のテーマは「「問う」とはどういうことだろう?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「「問う」ことは、まさに「考える」こと?」
 「答えのないものに対しては、「問う」という形で、まず始めていくしかないのか?」
 「問い、好奇心、興味、どう違うの?」
 「問いを立てると、問いかけるはどのように違うのだろう…?」「「自分に問う」と「他者に問う」はどう違うか?どちらが必要か?」
 「「問う」ことは、聴くことの積極的な態度か?」
 「問いの種類はどのようなものか?どれくらいあるのだろう…?」「(問うとき)答えをどこに求めるか?」
 「疑問を持つ人生と持たない人生、どちらが幸せか?」「「問い」によって、悩みが増えるか?」「迷いが大きくならないか?選択肢が増えることが、かえって安心するかも」
 「「問い」と「答え」、どっちが大切か?」「問いと答え、どっちが大事? 答えがないことが多いように思います。そのプロセスも大切にしたいかなと」
 「問う⇒問い⇒考えること 聞いて、みて、考え わからないことを教えてもらうことかなぁ?」
 「何故問うのか?」「問わなかったら、どうなるか?」「問わずに幸せに生きられないか?」

 この後、フリーに対話した。
 問いのレベルとして、「頭」のレベル、「感情」のレベル、そして「腹のレベル」というものがありそうだという話になった。一般には「頭」のレベルで、問いを立て、論理的に考えるというように見る。しかし、「感情」のレベル、さらに「腹」に落ちるレベルの問いと答えというものも大切である。特に、「怒り」や「悲しみ」といった感情から起こる「問い」に注目が集まった。
 「なぜ問うのか」ということは基底となる問いである。 
 これは人生が謎であり、不条理であるからである。問わざるを得ないのである。そして、近代人は、問う⇒考える⇒答える⇒考える⇒問う⇒…… これを繰り返さないと、すなわち思考停止になると生きていけないのである。コマのように、常に問いと答えの回転をし続けることによって、自分を自立させているのである。

【第42回目の記録】

人とつながっていないといけないのか?

Imagesuvbw3cjv 第42回人生カフェは平成29年1月28日(土)、11名(男性5名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は参加者で対話のテーマを決めていくということで、最初に参加者から自分の興味・関心がある「問い」を出してもらった。
 「芸術の価値とは何か?」「人はなぜ美を感じるのか?」「美を感じる基準は何か?」
 「日本社会・日本人は本当に近代社会・近代人か?」
 「何故、法律を守るのか?」
 「「わいせつ」とは何か?」
 「人はなぜ楽しい事、好きな事だけして生きていかないのか?」
 「必要以上の謝罪をどう思いますか?」
 「謙虚とは?心づかいとは?」
 「疲れたなぁと思ったら、どうしますか?」
 「男脳、女脳とは?」「男性と女性では物のとらえ方はどう違うのか?」
 「お金で買えないものとは何か?」
 「人生が二度あったら…どんな人生を送りたいか?」
 「もし不老不死の薬があったら、あなたは飲みますか?」
 「運がいいとか、悪いとかとはどういうことなのか?」
 「強いアメリカとはどんな事か?」
 「面倒くさい人とは?」
 「エリートとは何か?」
 「なぜスマップは解散したのか?」
 「可能性とは何か?」
 「(必ず)人とつながっていないといけないか?」「フェイスブック、ブログ、ツイッター、ライン…など、人はなぜ繋がりたいのか?」「それでも仲良くしなくてはいけない時って、どんな時ですか?」

 これらの中から、今回は対話のテーマを「人とつながってないといけないか?」に決めた。

 このメインテーマに対して、参加者からサブテーマに当たるものをいくつか出してもらった。
 「独身者は社会の中でなぜある種の引け目を感じざるを得ないのか?」
 「「お前は友達がいないだろ」はなぜ最強の侮辱となるのか?」
 「おひとりさまの死とは?」
 「なぜ自分のプライバシーを明かしてまでネットでつながろうとするのか?」
 「どうして会話をしている相手ともSNSで会話するのか?Facebook,Twitter…」
 「人と人とは良いときでも、悪いときでもつながっていた方がよいような気がするのはだめでしょうか?」
 「淋しいのは嫌だが、人とつきあうのはわずらわしいいのはなぜか?」
 「つながりの強制は無いか?」
 「一個人として、人とつながっていくことをどう思うか?」
 「「つながってる」とは、どこで誰が判断するか?
 「つながる事で、どんな状態を期待するか?」

 これらをもとにして、後半はフリーに対話した。今回は机を使わずに、椅子だけで全員が輪になって対話をした。

 最後に、参加者に、今日気づいたこと、新たに生じた問い、感想などを聞いた。(今回はフリップに書かず、口頭で述べてもらった。)

【第41回目の記録】

き(聴)くってなんだろう…?

Png4 第41回人生カフェは平成29年1月14日(土)、11名(男性4名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回は岩崎さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。
 今回のテーマは「き(聴)くってなんだろう…?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「聞く、聴く、訊く、とは?」「聞く、聴く、訊く、そのときどきでどう使い分けるか?」「ニュースは「聞く」のか、「聴く」のか?」
 「何から、どこから、きくのだろうか?」「きくことが大事なのは、どういうことだろう?」
 「話を聞く楽しさや苦しさは、どこに(何に)あるのか?」「きくことが苦痛の場面の原因はどこにあるのだろう?」
 「聞く力があるとはどういうことか?」「自分が聞きたいことを話させることと、相手が話したいことを聞くことは、どちらが大切か?」
 「「聞く」「聴く」…側はどのような姿勢(心構え)が必要か?」「心に余裕がないと、人の話を聴けない?」「人の話を聞けず、自分の話にすり替える人がいる、なぜだろう?」「聴くことは心づかいか?」
 「きくは一時の恥、きかぬは一生の恥とは?」
 「聞けなくなったら、どうなってしまうのだろう?」

 まずは、「きく」という読みの漢字3つの違いが気になった。「聞く」は心の門のあたりで耳で聞く。「聴く」は耳と目と心で聴く。そして、「訊く」は尋ねる、質問するというような意味ではないか、といった話が出た。
 話は多方面に渡って展開された。少々テーマから外れるかもしれないが、「謝る」ということについてや「ガンバレ」という言葉などについても話された。

 最後に、参加者一人一人にフリップに書いてもらった。
 「聞く…うけとめ方はそれぞれ」「「聞くふりではなく、「聞く」は相手によりそう事」
 「きいたことに対して、自分の中で「変換」して、問い直すという姿勢は、今までの自分に欠けていたかもと思いました」
 「他人からも、内側の自分からも(問いながら)聴けるように心がけたい」
 「聞く 聴く 訊く 相手によって心遣いをする」
 「「聴く」とは、相手に関心を持ち、相手に心を寄り添わせて、想像力を働かせ、愛情をもって受けとめることかなと思った」
 「人に対して聴くとは、相手のそばにいて、相手の話すことばから、相手の心を知ること」
 「きくとは? きく力はあまり必要性はなく、人の話を余裕をもって、きく事ができる事が良い事ではないかなぁ…?」
 「心に余裕があると人の話も聴けて自分が変わって周りも変わるとして、状況が悪いときに心に余裕を持つにはどうすればいいか」
 「聴けない時もある」
 「「話を聞く」って、簡単なようで、実はとっても難しく、奥深いことだと思いました」
 「聴くって何…? 深かった!」

【第40回目の記録】

幸福シート

Png_3Png_2_2第40回人生カフェは平成28年12月24日(土)、7名(男性3名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は「幸福シート」の作成が課題である。 
 幸福シートとは、下に掲げるような項目のものなのだが、要は過去、現在を振り返りながら、未来へ向けての夢を描くものである。この師走の時期だから、主に来年の夢を考えた。見栄を張ったり、気負いすぎては、よくないだろう。どちらかというと、ゆるゆると、素直に表現するのがいい。
〈幸福シートの項目〉
今、わたしにとって大切な人【現在】
1.家族
2.友人
3. 職場(学校)
4. その他

今までで感謝したい人【過去】

当面やりたいこと(1ヶ月~3ヶ月くらい)【未来】

中長期的にやりたいこと(1年~3年くらい)【未来】

どのような人生を送りたいですか【未来】

もう少し幸福について考えてみましょう!

 これからの自らの幸福の実現のために、目標(今後やりたいこと)や課題について書いてみてください。

【場面ごとに】

◎家族の面

◎友人の面

◎職場(学校)の面

◎その他

【要因ごとに】

◎健康の面

◎お金の面

◎趣味の面

◎その他

 上記の前半と後半に分けて、それぞれ参加者に、差支えのない範囲で発表してもらった。そして、お互いに簡単な質問や感想を言い合った。

 夢とは、実現へ向けての「過程」こそが楽しいのかもしれない。
 また、自分の夢と他人との関係も話題になった。他者への貢献が幸せや夢に繋がっていくのではないか?

【第39回目の記録】

私は特別な存在なのか?

Safe_image 第39回人生カフェは平成28年12月10日(土)、9名(男性4名、女性5名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「私は特別な存在なのか?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「私は誰にとって特別な存在なのか?」「「特別な存在」とは、誰が、どのように決めるのか?」
 「「特別な存在」って、どんな人?」
 「そもそも特別な存在って何?」
 「特別な存在と思われるために必要なものは?」
 「運のよい特別扱いをされることは良いことか?悪いことか?」
 「すべての人は「私」である以上、「私」にとって「私」は特別な存在なのではないか?」
 
 この後、何人かの人に、テーマに関連した体験事例を発表してもらった。「どのような時に私は特別な存在と思ったか?」という問いに答えてもらうような形で事例を述べてもらった。
 具体的事例などを参考にしながら、対話は続いた。

 「特別」というのは、普通ではないということである。だから悪いことの例も考えられる。しかしながら、今回はいいこと、ポジティブに捉えるという方向で話が進んだ。
 特別な存在とは、かけがえのない存在、代わりのきかない存在という意味合いで捉える人が多かった。
 他者が私のことを特別な存在と認めてくれているように感じることはある。家族から、友人から、職場の人たちから……、そして大きくは社会から認められている存在の人もいるだろう。
 また、神や天が私を特別な存在と認めるということもあるかもしれない。また、運命が認めるかもしれない。
 そして、何よりも私が私を特別な存在と認めるということ、さらに言えば、私と自己との関係がそもそも特別だという言い方も成り立つだろう。
 私の感覚は私のものである。私の感情は私のものである。私の行動は私のものである。私を私として認知しているのは私だけである。私がせいぜいコントロールできるのは私だけである。一方で、私だけが私自身を外から見ることができない存在である……。
 私が生まれ、私が死ぬ。誰も代わってくれない。私は、私の人生の最後の人間である。
 これらだけのことからしても、私は特別な存在だと言えるかもしれない。

 最後に一人ずつフリップに書いたものを発表してもらった。
 「生まれてから死ぬまでずっと一緒にいるのも「私」のみ。その意味でも「私」は「私」にとって、特別な存在であるような気がする」
 「生まれるのも一人 死ぬのも一人 与えられた人生そのものがかけがえのないものと感じました。大切なことはみえにくいな~。程々…幸せ!」
 「生まれてきたこと、生きていることに対して「特別な存在である」ということを、子どもの頃からさまざまな形で教えられてきたことを思い出しました」
 「この世に生まれてきた事 一度やめた仕事に復職 一度別れた人と復縁 幸せと思うとともに、ありがたいと感謝 やっぱり私は特別な存在かなぁ?」
 「自分の存在そのものが特別という視点は新しい発見だった。と同時に「存在しているだけで特別」なのだろうか?という疑問も残った」
 「私がいなくなれば世界はなくなる?だから私は特別である?」
 「そもそも「特別な存在」って何?モヤモヤした感じがいくらか鮮明になった感じがして、一安心です」
 「はじめて参加させていただきましたが、とてもたのしかったです。自分だけは特別な存在?それは、自分の眼だけでは、自分のことだけは見ることができないから?ということは感覚(五感)のなかで、視覚は特別?」
 「私は遅れて到着しましたが、それ以前に出た話題が紙に書かれ、かつていねいに説明されたことで、加わりやすくなり、感謝いたします」

【第38回目の記録】

嫌われる勇気

728 第38回人生カフェは平成28年11月26日(土)、8名(男性2名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は、『嫌われる勇気』~自己啓発の源流「アドラー」の教え~(岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社)の読書会のような形式で実施した。
 最初に、参加者各人がこの本の中で気に入った個所(共感した個所)を挙げてもらった。キーワードを紙に書いてもらった。( )内は書いてあるところの本のページ数である。
 「原因論と目的論」(28)
 「なにが与えられているかではなく、与えられているものをどう使うか」(44)
 「人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている」(107)
 「課題の分離」(147、153)
 「自由とは、他者から嫌われること」(162)「嫌われることを怖れるな」(163)
 「より大きな共同体の声を聴け」(193)
 「肯定的なあきらめ」「「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める」(228)

 上記について、しばらく対話した後に、次に、この本の中で気になった個所(疑問に思った個所)を挙げてもらった。
 「すべての悩みは「対人関係の悩み」である」(70)~自分自身だけの悩みというのもあるのではないか?
 「論理の言葉を信じる」(106)~論理だけを信じるということはできるのか?
 「誰の課題なのか?」(140)
 「信用と信頼」(231)
 「他者貢献・他者信頼」(237)~信頼と貢献ということがとても重要なことであるとは思うが、それらがストンと胸に落ちない。
 「題名と青年の突然の気づき」~本のタイトルはしっくりこない。最後に青年が突如として悟ったような感があり、そこに違和感を覚える。

 以上を踏まえて、さらにこの本についての対話は続いた。
 この本には対になるキーワードがいくつかある。
 原因論~目的論
 縦の関係(上下)~横の関係(対等)
 ほめる・叱る~喜ぶ・感謝・お礼
 他者からの承認~他者への貢献
 依存~自由
 行為のレベル~存在のレベル

 現状は上記の左の方の考え方に支配されている。それを右の方の考え方に変えていこうというのがこの本の主張である。納得のいく強い主張であるが、極端に右の方にいくと問題も起きそうである。

 対話の中で、「自然に」「素直に」誉めたり、怒ったりすることができれば、それはそれでいいのではないかという話も出た。また、「自由」になる勇気が、幸せと関係しているのではないかという話も。さらに「勇気」ということがこの本の底に流れるテーマではないかという話も出た。

 最後に、感想等をフリップに書いてもらった。
 「〈嫌われる勇気〉 素直な自由 素直な勇気 素直な嫌われかた 素直に幸せになれる勇気!!」
 「素直に、率直に、ほめる、叱る、ことについて? 「勇気」について?」
 「人はいま、この瞬間から幸せになることができる(250)←を、信じて、いまできることを真剣かつ丁寧にやって(生きて)いきたい。(272)」
 「みんなの意見を聴けて良かった。誰の課題なのか?10年前のことを思い出しました。今のままで幸せ!!」
 「この本は何度も読み込んで来たが、他の人の話を聞いて自分の思い込みで読んで来たなと気づかされる点がいくつもあった。本も思い込みで読んでいることに気づけたことも大きな収穫でした。ありがとうございました。」
 「また、この本についてか、次の『幸せになる勇気』の会を作って欲しいと思いました」
 「このような形の会に初参加だったのですが、皆さんの経験に基づく考えを聴かせていただけて、一人で本を読むのとは別の楽しさに出会うことができました。ありがとうございました。」

【第37回目の記録】

なぜ私たちは対話するのか?

Images_4 第37回人生カフェは平成28年11月12日(土)、11名(男性7名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「なぜ私たちは対話するのか?」である。
 対話とは何か、ということでいくつかの定義はあるが、今回は一応、ここでは対話とは異なる考えや価値観を持つ者同士が話をすることを指すとした。同じような考えや価値観を持っておしゃべりをする「会話」とは異なるとした。
 まずはメインテーマに対しての自分なりのサブテーマ(問い)を出してもらうことから始めた。
 「「会話」ではなく、「対話」から得られるものは何か?」「対話によって何を得たいのか?(ゴールは?)」
 「なぜ対話に拘るのか?(対話でなくてもいいじゃないか?)」「対話とコミュニケーションとの違いとは?(対話とコミュニケーションは同じかなあ?」「ネットで対話はできるか?(顔が見えることが条件か?)」「文字だけで対話できないか?(顔を隠してできるか?)」「話せなくなったら対話はできないか?」
 「対話をしないで生きていくことはあるか?(可能か?)」「対話は問題解決のベストな方法になるか?」「対話は分断を癒せるか?」「なぜ対立するのか?」
 「対話に必要なスキル・態度は何か?」「相手への想いや、継続の中で、対話は形成されていくのではないか?」
 「対話している様で、そうではないことが多いのではないか?」「対話(する)において「心の境界線」は必要か?」
 「大切なのは、結論か?過程か?」

 この後、今回は全員に「なぜ私は対話するのか?」に答えてもらった。(「私は」であって、「私たち」ではない。)
 「①情報収集 ②自分の考えを広め、深める ③人を理解する」
 「対話する相手が好きだから」「相手を理解するため」「「相手」(自分)を愛するため」
 「自分を変えるため。対話することにより、人の話を聞けるようになった」「自分自身の許容範囲を広げるため」「自分の信念に揺さぶりをかけるため」「自分が有利になりたいから」
 「会話は楽しいが物足りない。対話のなかにこそ、何か(気づき、ヒント)を見出せるような気がするから」「自分の考えの普遍性を確かめるため(対話の場でないと聞いてくれない!)」
 「キャリア相談の場面で、対話的支援が必要だから」

 この後、テーマに沿って、フリーに話をし合う。
 ひとつ人種、民族、言語、宗教などが異なる者同士の対話をイメージする。そこではお互いが争わないために、トラブルを起こさないようにするために、あるいはトラブルが起きたときにうまく解決するために……、すなわちお互いを理解し、仲よく暮らしていくために、対話は必要のようである。究極的には、対話は殺し合わないために必要である。
このように対話は異なる者同士が共存していくために必要なものとして、捉えられる。
 一方で、対話により、共同で真理を探究しようとする営みがある。一人では容易ではないが、集団で普遍性を追究する。これは贅沢な行為のようであるが、不確実、不透明な時代においては特に求められるものである。
 上の2者の底に流れているのは、お互いに共通な、確固としてものを見つけようとする意識である。共通基盤が見つかれば、それを拠り所にして、みんなが協力して先に進めるという感覚があるからである。

 以上のようなことをはじめとして、様々な話が展開したが、時間切れとなった。最後にひとりひとりにメインテーマについてフリップを書いてもらった。
 「愛するために!」「相手を理解する」「結論:対話の目的は他者と分かり合えるため」
 「私たちは独りでは生きていけないから対話をするのではないか(生きていくため)」「対話は人生を豊かにする」「対話といふは相手を通しての自己発見と見付けたり」
 「まず相手に対する信頼があって対話が進められるように思った」「日常的に対話の端緒を見出して、対話を形成していけたらいいな」
 「本日までは、ネットでも対話はできそうだ!(人工知能でもできそうだ) 生身の人間の必要性がわからなかった」
 「他者(相手)がいることの意味は大きい。「漂流」している中で、何かしらみんなと共通の島を見つけたい気持ちがある」
 「中高年の人生カフェに参加して、皆の話を聞き、話をすることが対話かなぁ?」

【第36回目の記録】

日常生活の冒険

714 第36回人生カフェは平成28年10月22日(土)、12名(男性8名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は参加者で対話のテーマを決めていくということで、最初に参加者から自分の興味・関心がある「問い」を出してもらった。
 「よりよい人間関係をつくるには?コミュニケーション?」「コミュニケーションの取り方?」「対話とは何か?」
 「人の役に立つ身の回りの事って、どんなものがあるのか?」「自分のためよりひとのためにすることのほうが、より満足感を得られるのはなぜか?」「優しい人(子)になる(なってほしい)っていうことは?」
 「日常生活の冒険とは?」「おどろきと好奇心とは?」「勇気とは?」
 「老いについてどうとらえてゆくか?」「不老不死はいいことか?」
 「個人主義とは何か?」「組織は個人の責任をどこまで負うべきか?」
 「不寛容社会は止まらないか?」
 「『平和』とはどんな状態のことを言うのか?」
 「本音とは何か?」
 「整理をするために捨てるのは大切とわかっているのになぜ難しいのか?」
 「運命はどう変えるか?」
 「逃げるのは悪い事ですか?」
 「元号と年号とは?」

 この中から今回は「日常生活の冒険とは?」がメインテーマに選ばれた。(提案者も大江健三郎の著作を意識していたみたい。)

 冒険というと、一般的には日常生活からの逸脱のイメージがある。それをあえて「日常生活の冒険」というのはどういうことだろうか。
 日常生活の中でのちょっとした変化、例えばふだん歩いていた道を少し変えてみるとか、ということらしい。習慣になっている思考パターンが少し変化する。それは比較的安全な場で行われる。だから安心して楽しめる。
 それは一般的なイメージの冒険と異なって、長期的な決断の場合もある。例えば、ローンを組んで家を買うなどのことである。これは明らかに人生上の冒険であり、リスクも伴う。

 いろいろな方面に対話は展開したが、最後に参加者に一言ずつフリップに書いてもらった。
「小さくても冒険(勇気を出していく)をしていかないとボケる。」
「いつでも冒険 いつでもチャレンジ」
「日常生活における楽しい冒険をしていきたいと思った。」
「日常生活の冒険には勇気・新鮮さ・拡大とリスクも含まれる。老いと安定。冒険ができることである。」
「私にとって本当の意味の冒険とは、新しい自分の発見と人との出逢い、心の交流ではないかという気がする。(優しさに出逢うことなど) 冒険は出き得る限りしていきたい。」
「(自分の)日常生活から少し離れた冒険~人との出会い、本との出会いを通して、他人に小さくても喜びを与えられる人生を送って、老いを迎えられたらいいなあ。」
「日常生活の冒険 危険やリスクを伴わない拡大的なもの 新しい経験 (年齢?)(生活の安定?) ※カフェ 」
「身近なところのちょっとした心のかべを乗り越えてみる、勇気を持つのが大事かなー」
「日常生活の冒険とは、「ドキドキ」すること。「ドキドキ」しない冒険はないか?」
「日常生活の冒険とは? 日ごろ思う事を勇気を持って考えていこうかなぁ?」
「思考停止は冒険しないことか?」
「冒険と探検とはどんな違いがあるのか?」
「冒険してないな…」

【第35回目の記録】

同情するのは悪いことか?

Images139 第35回人生カフェは平成28年10月8日(土)、12名(男性4名、女性8名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「同情するのは悪いことか?」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たる問いを参加者からいくつか挙げてもらった。(自分が疑問に思っていることを素直に何でも出してもらう。問いの形(最後に「?」が付く文)にする。各人の問いに優劣はない。)
「同情より共感の方がよいのか?違いはある?」「「同情」と「愛情」は違うのか?それとも同じなのか?」「同情は心配と似ていないか?」「「同情」と「憐れみ」は同じか?」
「同情する側の心理はどういうものか?」「同情とは上から目線なのか?」「同情などの感情は自然に出るもので、無理に止めることはできないのでは?」
「「かわいそうに……」と思うことと発言することは違うのか?」「『同情』することにSTOPはかけられないが、その先にある言動に表わすことや、その程度によっては同情は必ずしも良いこととは言えない場合もあるのでは?」「寄付やボランティアは同情なしでできるのか?」
「同情された時に気持ちの違いがあるのはなぜか?」「同情されるのは良いときもあり、悪いときもあるのでは?」
「「情けは人のためならず」は本当か?」
「死刑囚を同情してはいけないのか?」「ベッキーに同情すべきか?」

 同情することは鼻から悪いことだと思っている人たちもいる。果たして本当にそうだろうか?そもそものところを問うていくのが哲学カフェである。
 「同情すること」と「同情されること」は一応区別できるし、上に挙げられた問いも両者の違いを意識している。今回の対話の展開の中でも、両者を区別しながら、そして両者の関係を考えることなども行った。

 最後に、各参加者からコメントをもらった。
「(私の中にある)同情されたい・同情したい この気持ちももう一度見つめたい。」
「同情はやはり深かった。よい感じを知ったのがよかった。」
「同情するのは悪いことか?同情されるのは良いとき⇒おもいやり 悪いとき⇒あわれみ 自分で感じたこと!!」
「自然にわきおこってきた感情としての「同情」は自分の中で見つめて静かに考える、心の余裕をもちたい。(感想)」
「「同情されたい」…人とつながっていたいという気持ちがあるのかもしれない。」
「中身の伴わない(心がない)押しつけの同情を人は嫌う。そして、それを不思議と人は見抜いてしまう。(人は言葉にはだまされない)」
「諄(くど)くない同情を心掛けたい。 「友人がいない」という発言は誰かに同情を求めているのか?」
「大切なことは相手の立場に立った、相手の気持ちに沿った言動だと実感しました。」
「誰でも自分で問題を解決する力を持っている。自分を信じることが相手を信じることにつながる。」
「2つの視点からとらえる。 [自分]同情は自然発生的である。良いも悪いもない。どの様に発信するのが問われる。 [相手]同情を受けた時の感情は、一定の基準に基づいて良い悪いと判断しているものではない。 齟齬が発生するのが前提と考える。」
「同情 ~ ◎自分と相手を比べて優位に立つ⇒同情することで気持ちよくなる⇒メサイア・コンプレックス、感動ポルノ(キケン) ◎相手の立場に立って気持ちに寄りそう⇒(ギモン点)相手のことは本当にはわからないのに、寄りそいすぎるのは自己満足になる場合も⇒まき込まれる(キケン)」
「1「同情」には良いものと悪いものがある。人間関係が重要である。受け取り手の気持ちが大切(世界・日常を知る) 2「同情」する気持ちを人間関係の形成につなげるにはどうすれば良い?  3「同情」するにもさまざまな感情がある。これから「今のは同情?」と考えるようにしたい。相手の反応をみる。」

【第34回目の記録】

 自分の人生上の悩みを話すカフェ

696 第34回人生カフェは9月24日(土)、7名(男性3名、女性4名)の参加によって実施された。今回のテーマは「自分の人生上の悩みを話すカフェ」である。
 参加者一人一人が自分の人生上の悩みを一つだけ話して、それをもとにして哲学カフェを展開した。話す悩みは大きいものでも小さいものでもいい、心の悩みでも、そうでなくてもいいとした。
 主に話をしてくれたのは3名であった。(他の人たちはよい聞き役となった。)
 話のタイトルのようなものを列挙すると以下のようになる。
 「人づきあいのこと」
 「(眠っている時にみる)夢のことについて」
 「尊敬する人のこと」
 それぞれの内容の詳細は省略するが、全体の話し合いの流れは以下のようなものである。
 話をしてくれたことに対して、聞き役の人たちからまずは質問や感想を述べる。話し手がそれらの質問等に答える。さらに深めていくために、話し手が体験したことを解釈したり、分析したりする。体験事例からひとつテーマを抽出して、対話を続けていくこともある。これらはすべて話し手のことを理解・共感するという姿勢で行われる。最後に、話し手の感想を聞く。

 参加者にコメントをフリップに書いてもらった。
 「尊敬でき感謝できる人を大切にしていこうかなぁ?」
 「『ずっと心にとめて、努力を続けていくと、きっといいことがある』と信じていたい。みなさんと楽しい話ができました。ありがとうございます。」
 「人にはそれぞれの経験があり、なかなか共有する事ができないので、人生カフェに参加でき、良い時間を過ごせました。」
 「人づきあいは、相手がどうあれ、まずは自分がどんな自分で在りたいかということが大切だと思った。 限りある人生、ストレスを溜めずに自分の好きなことをしていきたい。(Iさんの夢の話から) 尊敬の念であれ、恋愛であれ、人が人を好きになることはステキなことだと思う。」
 「全体的に心地よい時空間でした。 夢の中でのメッセージをありがたくいただきたいと思います。」
 「身体で感じる?快と不快 これが哲学になる?これがなるんだよね。心理学でなくて。」

【第33回目の記録】

論理と感情とは何か

693 第33回人生カフェは平成28年9月10日(土)、12名(男性6名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「論理と感情とは何か」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 用語の定義等に関すること:「論理とはそもそも何?」「感情とは喜怒哀楽のことでしょうか?」「論理、論理的、感情、感情的、理性、感性のイメージは人によって違うのでは?」「感情⇔理性 は対語ではなく、補完関係にあるのか? 人は未来、感情・理性がどう変化していくのか」
 論理と感情の性質等に関すること:「論理はある程度の時間を要するもの、感情は瞬間的に理屈抜きで作られるものではないか?」「論理は合理化か?感情は発作か?」「論理と感情の境界(線)はあるのか?」「男女の差はあるのか?」「暴力性は?」
 論理と感情、どちらか?:「「論理的」は「感情的」より知性が上なイメージだが、本当にそうか?」「どちらが説得力があるか?(論理と感情、どちらにうったえるべきか?)」「判断に迷った時、(あなたは)どちらを優先させるか?」「どちらにも決められないとき、どうしたら良いのか?」「両者がけんかした時に、最後にどちらが勝つか?」「トップに立つにはどちらが良いか?」

 参加者から指摘されて思うに、確かに「論理」という用語は捉えにくい。「感情」に対しては、「理性」とか「思考」と言った方がまだ分かりやすいかもしれない。今回の「論理」という用語は、要するに理屈や筋道を立てて考えることを指している。
 対話は、欲求や欲望、さらには価値や目標など抽象度の高い話まで発展した。
 そこで、いったん具体的な体験事例を話してもらう第2部に移っていった。そこで出た事例の見出し:「短気で、感情的で損をしたこと」「妻が感情的な共感を求めていたのに、夫が論理的に説明してしまったこと」

 フリーに対話を展開した後、最後に各自フリップに書いてもらった。
 「論理と感情とはよく分からない!感情をおさえず、素直な自分を表出していこうかなあ?」「心はコントロールできない」「論理(理性)と感情はバランスが大切。どちらかに片寄りすぎるのは問題である」「論理(理性)と感情とはバランスが大切」「相手の感情を受けとめる、おしはかる⇒ことを全くしないで理論で攻めるのは暴力。 相手の感情を受けとめる、おしはかる⇒ やりすぎるのもどうか」「『暴力』と『共感』」「国際平和と○○モンスターの増加について 許容されない社会、格差社会、閉塞感、明日の見えにくい混沌とした未来、様々な要因から他罰的な考え、弱者への攻撃 ~感情と論理のバランスと補完~」「「論理と感情とは何か?」という難しいお題で、特に答えが出るわけではないが、いろいろと話したり聞いたりできて良かったです。答えを出すのではなく、とりあえず話す聞くということの効果を知った気がします」「人生(哲学)カフェでは話を聞いてもらえる。そして、人の話も聞ける。そんな「場」がこれからは必要なのかも……」「今はただ祈るだけ」「人生カフェは感情の面にも注目します。(他の哲学カフェとの違い)」

【第32回目の記録】

いい言葉は、いい人生をつくる ②

685 第32回人生カフェは平成28年8月20日(土)、5名(男性2名、女性3名)の参加によって実施された。
 今回は、『いい言葉は、いい人生をつくる』(斎藤茂太著、成美堂出版)の読書会のような形式をとった。この本を取り上げるのは5月に引き続き2回目である。

 参加者が印象に残った個所を列挙する。
 「真の友は最大の財産であり、また、最も得がたい財産である。」「本当に信頼できる友だちや味方は、どんな宝物にも負けない人生の宝なのだ。」 (これらから「友だち」の話がいろいろ展開した。)
 「子どもは大人のやることを見よう見まねで試みては失敗し、「どこがいけなかったのだろう」と失敗をバネに、何回もチャレンジを繰り返していったのだ。」「うつの患者さんには、いわゆるエリートコースをひた走ってきたまじめ人間が多い。こういう人の特徴は、反省好きなことだ。過ぎてしまったことをクヨクヨと悩み、ああすればよかった、こうすればよかったと反省ばかりしている。」 
 「悪いできごとは、最悪を避けさせるシグナルなんだよ。」
 (これらから、「失敗」や「反省」などについての話がいろいろ展開した。)
 「頭で考えるな。肌でつかめ。」「「ありがとう」を多く言うと、ストレスが少なくなる。」 (これらから、「ありがとう」や「感謝」などについての話がいろいろ展開した。)
 「ビジネスライクとは、心の軽視ではない。」

 ひとつの文章から話が様々に広がっていくのが楽しかった。例えば……
 「反省」というより、「ふりかえり」という言葉の方がいい。
 「ありがとう」と「ありがとうございます」との違いと共通点について。
 「悩む」のではなく、「考える」~「疑い」から「問い」、そして「考える」

 また、この本のよいところだけでなく、問題点なども指摘することによって、この本を客観的に捉えようともした。これも何人かの人と本を読むことによって得られる面白さである。

 最後に一人ずつフリップに書いてもらって発表した。
 「もう一ランク上のよいセリフを考えてみる。(前もっていくつか考えてみる。)」
 「(今日一日を)「反省」するのではなく、「ふり返って」みよう!! 悪いことばかりの一日じゃない。いいコトもあったよね。」
 「ありがとう ありがとうございます 感謝の気持ちに変わりなし。ふりかえりながら、考え、疑い、信じようかなぁ?」
 「今後は他人に対して、「ありがとう」を言えるようにしたい!」
 「本の中の短い言葉から、どんどん広がっていき、お互いに考えあう、楽しい時間をすごせました。」

【第31回目の記録】

宗教・哲学・科学とは何か

Imagesw4xfp1ie  第31回人生カフェは平成28年8月6日(土)、11名(男性6名、女性5名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「宗教・哲学・科学とは何か」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 宗教に関すること。「宗教→教えをこうということでしょうか?」「宗教は精神安定剤?」「やがて宗教はなくなるのだろうか?」「宗教はぶりょくとなるか?」「なぜ宗教であっても、組織となると本来持っていた目的が変わるのか?」
 科学に関すること。「やがて科学で全てがわかるようになるだろうか?」「科学は「世界」の仕組を発見し、「説明」する行為 でも、「世界」≠「説明」?」「科学は人を動かすようになるのであろうか(人工知能)?」「なぜ現代は科学がもてはやされるのか?」
 哲学に関すること。「哲学は、そもそも「世界」は何かを考える。でも、現在の主戦場は「人間世界」?」「哲学もどんどん変わっているのに、哲学を論じるときに、なぜひとくくりにされることが多いのか?」「哲学は科学の暴走を止められるか?」
 三者全体に関すること。「哲学・科学・宗教がバランスよく機能するのに何が必要か?」「哲学、科学~学ぶということでしょうか?」「宗教と科学は対立していると思うが、哲学はどういう立場にあるのか?」「哲学は科学と宗教を含む?」「宗教・哲学・科学は未来に統一(融合)されるか?」「宗教・哲学・科学の関係性はどう変化するか?」「なぜ宗教・哲学・科学に魅かれる人・魅かれない人に分かれるのか?」「宗教・哲学・科学 いずれも生きていく上で大切なもので、結局目指す方向は同じではないか?」

 まずは、宗教と哲学を比較してみる。
 どちらも世界や人生の意味・価値を取り上げるものであるが、宗教は答えを信じることが基本にあるのに対して、哲学は疑い問うことが基本にある。宗教は物語で説明し、哲学は概念(用語)で説明する。
 次に、科学と宗教を比較する。
 どちらも問いと答えの連鎖の中で、万人が認める確実なものを目指すが、科学は実験・観察などを通して五感で把握できる事実を土台とするのに対して、哲学は言語を使って、概念を土台として意味や価値を追究する。
 以上は教科書的な説明であるが、これらを踏まえて、哲学とは何かを対話を通してさらに探っていく。
 哲学とは、あるテーマについて、その「そもそも」を語ることであり、共に納得できる考え方を見つけていく、誰にでも開かれた言葉の空間である。そのような感覚を持ちながら、現代的なテーマと関連して対話はsらに続いた。
 現代は、①人工知能・ロボット ②生命(遺伝子操作、脳のことなど) ③環境 のことなどが将来的な課題としてよく取り上げられる。人類はどのような道を進んでいけばいいのだろうか?それぞれの課題において、倫理的な問題が横たわっている。これらに哲学の力は必要なのではないか、といった話になっていった。

 最後に、参加者にとりあえずの結論、感想、新たな問いなどをフリップに書いてもらった。
 「哲学とは何かがわからなくなりました」「言葉に表せない多くのモヤモヤを手に入れることが出来ました。最近モヤモヤは大切と思っているので、有意義な時間でした。ありがとうございました。」「哲学・宗教・科学について定義がなく議論されるということでどうなのだろうという思いでしたが、逆にさまざまな意見が聞けてエキサイティングでした。」「哲学・科学・宗教 無知な私には難しかったが、生きていく上で大切なことだと思いました。」「今日は哲学の外部にあるもの(お金、権力、欲望など)を新たに意識しました。」「科学もまだ発展途上であり、万能ではないと思うので、人間は思いあがることなく、常に哲学的視点に立ち返ることや、宗教とはまた違うが、人間の理解の限界を超える力(宇宙的な)の存在を認識すべき。」「科学はつきつめると哲学と切っても切れないと思うが、それを使う人が暴走するのは疑問や意味や価値では止められないと思うので、そうすると止めるのは政治か経済か。案外宗教かも。」「宗教・哲学・科学は、(+と-)相互補完され、それぞれの強みを十分生かされなければ、人類に未来はないと思いました。(現代は人類の分水嶺)」「哲学・科学・宗教について、それぞれは「思考」のため、問いに応じて使い分けすればいい!」「進化の過程には「哲学」が存在する」「新たな問い 科学の道具として生まれた数学は「実世界」を越えて発達してきた。「数学」って何?」

【第30回目の記録】

感動とは何か?

679 第30回人生カフェは平成28年7月23日(土)、12名(男性5名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回は当日参加した人で対話のテーマを決めていくというものである。最初に各自が最近感じていること、考えていることから問いを出してもらった。これによって参加者が興味・関心のあるところをお互いに知ることができる。
 具体的でユニークなテーマ:「『実家』とは何か?どこにある?心?場所?」「お墓は必要か?」
 若干抽象的なテーマ:「『死』とは何だろう?」「無常感とは?」「運とは?」「『正しい』とはどういうことか?(倫理?)」「仕事とお金とは何か?」
 人との関係に関連すること:「人づきあいとは?」「強い(上の)立場の人の影響を受けてしまうのはなぜか?」「やさしさとは?」「ひとはなぜうわさをするのか?」「感動することは必要か?」「『ジイさんらしくなる』とはどういう事か? 年齢を重ねるとどうなるか? 外見以外~考え方、趣味、志向~」「人生(哲学)カフェでの対話とは何だろう?」

 これらの中から、今回のテーマは「感動とは何か?」に決定した。
 サブテーマや体験事例を出してもらいながら、メインテーマを考えていった。
 「感動は必要か?」
 「感動を押し付けられるとは?(イヤだ!)」「『感動する』ことを強制(押しつけ?)られることはないか?」
 「『感動』できる自分が嬉しい」「思った事がかなったときの気持ちでは?」
 「『感動』は人(自分)を動かす動機になるか?」「感動を与えるもの(自然の営み、人のやさしさ)のその本質とは?」「感動のコミュニケーションとは何だろう?」
 「感動するポイントの違いは?」「感動の大・小とは何か?」「変わる感動・変わらない感動 そのちがいはナンダ??」
 「不適切なコトバ(表現) (不正確な)(期待に合致しない)」

 最後に、今日のところの自分なりのとりあえずの結論や感想、あるいは新たな問いをフリップに書いてもらった。
 「感動→広い意味で「心が動くこと」なら、この先もずっと感動できる人生を送りたいなぁ……」
 「感動する心を持ち続けたい→これからも変われる(成長できる)?……」
 「感動とは自分で思う事を表現できる気持ち 人との出会いに感謝 心が動く事かなぁ」
 「自分の感動を大切にする。ていねいに生きる。他人の感動に共感する。ただし、巻き込まれないようにする。」
 「感動は意図的なものから生まれるものではなく、予知されない状況から偶発的に生まれる感情で、対象(物)が在ってこそ成立するもの。感動は死ぬまでしていたい。」
 「『感動』があって身体が動くところがある。自分と他人に災いをもたらさないよう、もう一度考え(合って)みよう。(一人で、みんなで)」
 「わたしに適った感動がある!」
 「思考すること(哲学対話・哲学カフェ)は感動の手段かな…?」
 「(感想) 長野からわざわざこちらの会に来ていらっしゃる方がいることに本当に感動しています。」

【第29回目の記録】

心とは何か

663 第29回人生カフェは平成28年7月9日(土)、11名(男性4名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「心とは何か」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 「動物にも心はあるか?」「(人間以外で)生き物すべてに心はあるのか?」「人間以外にも心はあるか?」
「他人には心があるのか?」「AI(人工知能)は将来心をもつようになるか?」
「人(自分)の心を理解できるのか?」「心を通い合わせることは可能か?」「あたたかい心・つめたい心とは?」
「『こころ』はいつ私に生まれたのか?」「心は年齢(とし)をとらないのか?」「心と魂は同じか?」
「心の場所は身体のどこか?」「心の動き(感情)を見ているのは誰(私?)か?」
次に、心に関しての各自の体験事例をいくつか話してもらった。(タイトルだけを掲げる。)
「以心伝心のこと」「『あなたには心がない』と言われたことがある」「『あなたは心があたたかい』『あなたは心がつめたい』とそれぞれ言われたことがある」「ベテラン相談員から言われた言葉」「カラスの集団行動」……
 フリーに対話する中で、いくつかの話が出てきた。
 心といえば、「感情」のことを思い浮かべるのは自然なことである。ただ、心の働きとしては、「知・情・意」の3つの面があることは押さえておきたい。そして、心は価値として、「真・善・美」の3つを求めている。
それでは、そもそも心は何のためにあるのか? 「自己保存」のために脳が作り出したものかもしれない。種としての「人類保存」のためと言っていいかもしれない。また、他人とのコミュニケーションをするために必要だとも言えるかもしれない。
最後に参加者からひと言をフリップに書いてもらった。
「『心は何のためにあるのか』→『人生』につながる。脳科学、医学、人工知能の発達により答えが導き出されるのか?」「心とは、感情を中心に据えながらも、自分を動かす総合的な力と捉えたい」「心=その人そのものかな?」「今の私にとって、心とは…? 感覚(違和感)と感情(気持ち)と思考(言葉)を大切にすること!」「感情、意志、知識、思いやり→心とは大事なものと思いました」「人間は厄介だ」「(感想) 言葉(思考)で人間同士がわかりあえれば(心が通じ合えれば)いいなあ…」「心は複雑怪奇。無心になりたいが、それはまたさらに難しそう」「いつもは全く存在を意識しない『心』 深く考える事も有意義か?」「心は理解できない (心って何だろう?という疑問がさらに深まりました)」「いろいろ考えさせられることがありましたが、今まで分かっていると思っていたこともよく分からなくなってきました」

【第28回目の記録】

自分の人生上の悩みを話すカフェ

664 第28回人生カフェは平成28年6月25日(土)、5名(男性3名、女性2名)の参加によって実施された。今回のテーマは「自分の人生上の悩みを話すカフェ」である。
 参加者一人一人が自分の人生上の悩みを一つだけ話して、それをもとにして哲学カフェを展開した。話す悩みは大きいものでも小さいものでもいい、心の悩みでも、そうでなくてもいいとした。

 一番目の人は、これからの転職に関する話をした。新しい仕事の内容やトレーナーとの関係が気になるなどの話が出た。
 他の参加者からは、気負わない、うまくできるかどうか考えない、「無」や「只」の気持ちなどについての話が出た。また、「仕事」や「お金」の話に発展した。
 二番目の人は、「仕事」の話を受けて、現在行っている自らの仕事や活動についての話をした。賃労働や市場とは異なる、「commons」「入会(いりあい)」「結(ゆい)」などの話が出た。
 他の参加者からは、その理想とやりがいを支持・共感する思いが表明された。一方、現実性はどうかとか、本人が本当に納得しているのか、という感想も出された。
 三番目の人は、他の会合でのことだが、20代の男性が「人間関係には期待していない」と発言したことに、「さみしいなぁ」と感じたことを話した。
 他の参加者からは、人間関係が煩わしい、人間関係で傷つきたくない、という気持ちが、人間関係には期待していないという発言に現れているのではないか、という感想が出た。それは、かわいそうなことでもある。ここから、他人とのつながりのことや、「分かり合う」とはどういうことか、といったテーマが抽出され、対話を展開した。
 四番目の人は、相談をされたときの対応についての話をした。その人は、感情に着目することや、解決したいのか・話を聞いてほしいのか、相談に来た人にどの程度介入するか、といった点に注意するといった話をした。
 他の参加者からは、まずはよく聞くこと、相手のニーズに注目すること、相手に対する思いやり、自分にも正直であること、そして何よりもお互いの信頼関係が大切だというような話が出た。

 このカフェで悩みに対する完全なる解決策、答えが出ることは期待できない。哲学カフェだから、「問う」ことを大切にする、そして悩むよりは考え続けるように努力する。
 今回の人生カフェでは、各自の悩みから哲学的なキーワードやテーマを抽出し、それらを参加者全員で考えていくスタイルができたのはよかった。

 最後の方で、「それは『歩く』ことによって解決する」という面白いフレーズも飛び出した。

 

【第27回目の記録】

幸せとは何か

652 第27回人生カフェは平成28年6月11日(土)、11名(男性6名、女性5名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「幸せとは何か」である。人生カフェは3年目に入り、毎年6月には「幸せ(幸福)」をテーマにすることにしている。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 「幸せとはどんな感情か?」「どんなときに幸せを感じるのか?」
 「質と量に違いはあるか?」「「幸福」は人によって違うのか?」「幸せの最大公約数的な形は? 金持ち 権力者」
 「幸せ感の条件は?」「幸せになるための条件は何?」
 「幸せは求めれば得られるものか?」「「ふれあい」で幸せになれるか?」「「今を生きる」 これで幸せになれるか?」「幸せはいつも自分の心にあるか?」
 「ブータンは本当の幸せの国か?」「「公」は人を幸せにできるか?」
 「幸せとは遺伝するのか?」「「幸福」感も脳科学の範ちゅうと考えるのか?」
 幸せに関連する体験事例(エピソード)も何人かの人に語ってもらった。
 フリーに対話する中で、いろいろな話が出てきた。
 幸せになるには人と比較しない。目指す「過程」にこそ幸せがある。今・ここを生きる幸せ。過去・現在・未来を見渡した幸せ。幸せはその人の見方・考え方にある。幸せは「関係性」の中にある。自分の幸せ・他人の幸せ・我々の幸せ。あったかい、機嫌がいい、感謝。セロトニン、オキシトシンなどの幸せホルモン。人間の尊厳と幸せ………
 最後に参加者からひと言をフリップに書いてもらった。
 「形から入る幸せとは何だろう? 笑顔、あいさつ、掃除など」「あなたは本当に苦難の道(セロトニンを飲まない)を歩む勇気があります……。」「幸せのためにあえて不幸を選ぶ勇気」「「幸福」は心の持ちようが問われる関係性の中から感じるもの 主体性と自律性が人の尊厳であることが出発点」「幸せは人生の経験の一つ」「幸せが幸せな心をつくり、幸せな心が幸せをつくる」「幸せについて考えない」「幸せとは自分を大切にすること。感謝・感動をいっぱい意識すること」「「感謝」で一生を終えたい」「きげんがいい!」「幸せは外に求めるものではなく、自分の内側から発する(感じとる)もの。幸せと思えば幸せ、不幸と思えば不幸」「幸せとはいつも自分の心にある感謝の気持ち。過去はゆるし、現在はほめる、未来は励ます。2017年6月の「幸福とは?」を楽しみに」

【第26回目の記録】

639 第26回人生カフェは5月28日(土)、9名(男性4名、女性5名)の参加によって実施された。
 今回はいつもと異なり、『いい言葉は、いい人生をつくる』(斎藤茂太著、成美堂出版)の読書会のような形式をとった。
 参加者が印象に残った個所を列挙する。
 「人生、楽しくなくては生きる意味がない。これが、私の持論である。私流の「人生の成功」とは、どれだけ楽しく生きたか、どれだけ楽しく仕事をしたかにかかっている。」
 「「できること」が増えるより、「楽しめること」が増えるのが、いい人生。」
 「戦争中、青山の病院と自宅が東京大空襲にあって炎上したとき、みなが表参道方面に逃げていくのを見て、(母は)「みんなと同じことをしていたら、共倒れになる」と言い張り、反対方向に逃げるよう家族を叱咤激励し、結局、全員無事に逃げおおせた。」
 「自分で自分を評価できなくて、どうして長い人生を生きていかれるだろうか。自分は自分自身の最大の味方であり、最高の評価をする人間でありたい。」
 「そうあってほしい100パーセントの世界から、少し引いた60パーセントや80パーセントで生きていこう。「足りない」という焦燥感や不満がなくなり、ゆとりや柔軟性が生まれてくる。融通無碍な生き方が自分のものになってくる。」
 「何のために俳優をやっているのだろう。人気?豪華な生活?お金?何度問い直しても、答えはこうだった。「血がたぎるような舞台をしたいからだ」……。」
 「1日10回感動すること。それが長生きの秘訣です。」
 「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。」

 茂太さんの祖父・紀一さんは大病院を建て、国会議員にもなった傑物だった。その娘が茂太さんの母親の輝子さんで、こちらも愛すべき自己チューな人物だった。輝子さんの夫(茂太さんの父親)が、短歌で有名な齊藤茂吉である。茂太さんの弟に作家の北杜夫がいた。まさに『楡家の人びと』の世界であり、この血筋の背景は、この本を読んでいる時にどうしても意識してしまう。

 茂太さんの人生観のベースに「楽観的」ということがある。人生上、苦と楽の経験はどちらもある。それらの経験を楽観的に捉えるか、悲観的に捉えるか、まさに事柄の見方によって人生が変わってくる。茂太さんは皮相的な楽しみだけではなく、いろいろな角度から人生を楽しもうとしている。

 最後に、参加者からひと言ずつフリップに書いてもらった。
 「人生60点、60% ゆとりや柔軟性 融通無碍な生き方 信頼できる友、人生の宝、大切に 感動を自然にしていこう!」
 「笑顔は人も自分も幸福にすることができる。笑顔でポジティブに生きることが幸せに生きる道なのかもしれない。」
 「いい人生をつくるには、(ある程度は)自分の心掛け次第。客観的な立場でセルフプロデュースすることも大事なのではないか。」
 「「楽しい」ことは「幸せ」である。」
 「楽観的な生き方をまずは求めよう!その先は何か?」
 「「ありがとう」の反対語は「あたりまえ」」
 「「自分が何者かを知ることが人生の目的」⇒宗教・哲学・心理学からのアプローチ(共通課題)←(対立)→知ることはできないならば、つくるしかない(何者にでもなれる) つくっていくことが目的……」
 「人生についての様々な視点に立った意見が聞けて、自分でも思いがけない収穫がありました。一人で考えていてはと、とうてい気づくことのできない気づきを得ることができ、とても良かったです。楽観的と悲観的の話が、とても勉強になりました。物の見方で人生が変わること、これは大きな収穫でした。」

【第25回目の記録】

642 第25回人生カフェは5月14日(土)、7名(男性3名、女性4名)の参加によって実施された。
今回のテーマは「痛みとは何か」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 「もし痛みというものがなかったらどうなるのか?」「痛みを止めて、思考が停止するとしたら痛みを止めるか?」
 「肉体的な痛み(痛む)(痛い)とは?」「精神的な痛み(痛む)(痛い)とは?」
 「自分の痛みと向き合う必要はあるか?」「私にとって痛みとは?  からだ(いのち)の意味あるメッセージ? からだの声をすなおに聴けることが大事」
 「他人の痛みは分かるのか?」「他人の痛みを分かる必要があるのか?」
 「他人(自分)の痛みは分かりずらい(心、体) イメージではなく体験・経験からくるもの?」
 
 何人かの人から、痛みに関する体験事例を出してもらった。タイトル的に以下に掲げる。
 「夫の死」「対人関係の悩み」「歯を抜く」

 以上を踏まえて、対話を深めていく。
 痛みとは、それによって自分を実感できるというような面がある。
 他人の痛みには、その本人にとっては触れてほしくない、そっとしておいてほしいものもある。
 一方で、他人の痛みに感情的に巻き込まれてしまうことがある。それによって、自分の方の精神が乱れて混乱することもある。痛みに対して、自分が壊れてしまわないで、共感できる範囲というものは自ずからありそうである。

 最後に、各自のとりあえずのコメントをフリップに書いてもらった。
 「自分の痛みをどこまで引き受けられるか?他人の痛みをどこまで引き受けられるか?」「心の痛みを感じてしまいました。⇒生きてゆけない感情⇒でもいいんです。これが私です。※痛みは心も身体も強くするもの」「肉体的・精神的な痛みとは、生活の為、からだ(いのち)の意味あるメッセージ。出産の痛みは嫌な痛みではない!」「『痛み』は生命維持のための大切な(欠かせない)信号(シグナル)。精神的にも肉体的にも痛みを経験することは意義あることなのかと思えた。」「痛みは『神様、仏様など』の声かな?」「いろいろな意見が聞けてとてもためになりました。自分の考えだけだと広がりがないので、言葉のキャッチボールは大切だと思いました。身体が痛いのはどうにもならないとしても、無意識にせめたりして自分を痛めつけるのはやめようと思いました。」「一つのテーマについて長時間話し合うという、久しくしていなかった体験ができました。否定されないことは、うれしい。心地よい時間でした。ありがとうございました。」

【第24回目の記録】

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第24回人生カフェは4月23日(土)、8名(男性5名、女性3名)の参加によって実施された。今回は当日参加した人で対話のテーマを決めていくというものである。
 最初に各自が最近感じていること、考えていることを出してもらった。これによって参加者が関心のあるところをお互いに知ることができる。
 「心とは何か?」「気とは?」「笑いとは何か?」
 「『偶然』とは何か?」「長男は責任が重い・軽い?楽しい・苦しい?」「世界は一冊の本か?」
 「人生でいちばん大切なものは何か?」「『時間』とは何か?」「『お金』とは何か?」
 「ジェネレーションギャップとは何か?」「65歳は高齢者か?」「結婚しない40代の多さは親も悪いのか?」
 この中で、今回は「いちばん大切なものは何か?」というテーマに決めた。このテーマと同様なテーマはかつて人生カフェで取り上げたことがある。その時のメンバーとは半数以上が異なる。
 このメインテーマに対して、各自が関心を持っているところのサブテーマを挙げてもらった。
 「お金が一番か?」「お金で心が満たされるか?」
 「愛が一番か?」「家族か?」
 「健康が基本にあり、①は人間関係、②はお金か?」「健康なからだ、精神力がいちばんか?」
 「大切な時間とは?」
 「『価値』とは何か?」「『価値がある』とはどういうことか?」「自分の価値観と他人の価値観のずれとは何か?」
 「いのちのしあわせ感? 〈手段として〉お金、健康、時間、人間関係、コミュニケーション?」「いちばんではなく二番、三番……の意味は?」
 かつての人生カフェとはやはり異なるサブテーマが多数出てきた。

「いちばん大切なもの」に関連した各自の体験事例(エピソード)を何人かの人に披露してもらった。それら事例のタイトル的なものだけを並べておく。
 「現場での事故と日常」「痛みと健康」「95歳の母親のこと」……
 最後のセッションで再びメインテーマを深掘りしていく対話を行う。そして、とりあえずの各自のコメントをフリップに書いてもらう。とりあえずのコメントとは、それぞれの人にとっての、①とりあえずの結論 ②とりあえずの新たな問い
③とりあえずの感想 などのことである。
 「いちばん大切なものは……何をしたか・するかではなく、どんな自分で在ったか・在るかではないかと思う」「大切のものは人生そのもの。(支える)時間、健康、金、生活力等)」「健康なからだ 精神力 いのちのしあわせ感 気=エネルギー (お金、バランス)」「かえがえのない日常 誰かのための時間 気を養う詩」「家族>友人>職場>地域 愛情・思いやり>健康>趣味>お金 バランス」「価値観の多様 身体の健康 心の健康(強い心、愛の心) お金(どの程度?) → いろいろな事ができる 目標も持てる (自分のため、相手のため)」「誰かのために…!? ⇔ 自分のために…!? (愛情)」「人生観の再認識(人と自分)」

【第23回目の記録】

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第23回人生カフェは平成28年4月9日(土)、11名(男性7名、女性4名)の参加によって実施された。今回のテーマは「人生の意味とは何か」である。

 「起」~簡単な自己紹介に続いて、今回のメインテーマを確認する。

「承」~メインテーマを受けて、各自がサブテーマを述べる。これによって各自の興味・関心のあるところが分かる。

 「なぜ時々空しくなるのか?」「底なし沼の空恐ろしさ? 生と死⇒モラトリアム」

「なぜ人生に意味が必要なのか?」「人生の意味は?自分でつくる」「人生の意味が理解できる時は来るのか?」「何のために生きているのか?」

「死が現実に身に迫った時に、人は生きることの意味を見出すのではないか?」「いずれ死んでいく運命なのに、なぜ生まれてきたのか(くるのか)?」「生まれかわりの人生とは?」「死ぬなんて生まれる前に戻るだけ」

「転機はどこまで人生を規定するか?」「人間関係・対人関係の問題」

「時間という権力者には逆らえない」「言(語)葉の意味から解放されたい」

 「転」~抽象的な話に終始せず、自らの具体的な体験事例を加味していく。これが人生カフェの特徴である。

  事例のタイトルだけを掲げておく。

 「実際に空しく感じた時」「人生はいつもこれからだ」「意味が必要な時 受験勉強には意味がない」「事象はニュートラル、心の持ちよう 2時間30分の通勤(転機)」「哲学対話(カフェ参加)する人、しない人」「工事現場で怪我(日常は脆い)」「ギャンブル」「意味を探して堂々めぐり……」

「結」~メインテーマに対する答えを求めて、参加者同士で対話を展開していく。

 「人生の意味」というテーマについては、どうしても「死」というものを考えざるを得ない。死との対比で生が見えてくるようにも思う。しかし、そもそも死もよくわからないものである。

 今回、「転機」ということが一つのキーワードになった。転機も過去の自分の一部が死に、新しい自分が生まれるということである。転機において、新たに生きる力や意欲を見出すために、生きる意味を問い直すことが行われる。

  生きる意味を他律的に与えられて自分の人生を吊り上げてもらうか、それとも自律的に自分の生きる意味を見出そうとするか、といったことも話題に上った。

最後に、今日の各人のとりあえずの結論めいたもの、あるいは感想やさらなる問いなど、とにかくコメントをフリップに書いてもらった。

 「生まれる前と死んだ後のことを差し引くと、私にとっての人生の意味はとりあえず幸福と愛である」 「人生はいつもこれからだ。生まれかわりの人生を大事にしていこう」「限られた時間のなかで、自分のあり方を追求し続けていくこと」「人生の意味は、生きてみなければわからない。要は年の功…」「人生は個別の問題」「人生の意味を他者とともに考えていきたい。人生の意味を考える場・時間は貴重だ。 人生の意味を考えた(上の)表現として詩を書いていきたい」「目の前の人、ことを大切にしていく(セレンディピティ)」「天気=『転機』=苦痛 ⇒勇気⇒行動」「人生の意味を問う時 苦しい状態を意欲的な姿勢に変える。 視点の移動(新解釈←哲学)ができるコト 他人からほめてもらう」「人生の意味があるかなんてわからなくて当たり前(?) 今日の日常は明日終わるかもしれない。受け身はNG  次回テーマは「死について考える」でお願い致します!」「経験ってすごいな。たくさん考えて、たくさん発見して、もやもやどころか満足してしまいました」

 【第22回目の記録】

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第22回人生カフェは3月26日(土)、7名(男性5名、女性2名)の参加によって実施された。今回のテーマは「自分の人生上の悩みを話すカフェ」である。
 参加者一人一人が自分の人生上の悩みを一つだけ話して、それをもとにしてカフェを展開した。話す悩みは大きいものでも小さいものでもいい、心の悩みでも、そうでなくてもいいとした。
 話された悩みはタイトルだけを掲げると以下のようなものである。
①健康について
②借金を作り、お金をためられない。
③押しつけられのがイヤ!
④人と輪になって話すのが苦手(知識不足) 雑談が言えない。 年齢的に孤独感
⑤趣味サイトの中で、ページが削除されたこと
⑥強迫観念に捕らわれがち
⑦一人っ子、AB型、運動能力 コンプレックス

 悩みを自分一人だけで考えていると行き詰ってしまう。他人の目が入ると、色々な角度から考えることができる。もちろん、他人の意見をそのまま取り入れる必要はない。自分にフィットするものを使えばいい。(ただし、「良薬は口に苦し」という言葉もあるけれど…)

 3時間近くみんなで話をした後、各自のとりあえずの結論をフリップに書いてもらった。
①健康は努力によって、注意しながら出来るのかと思う。
②自分の為だけにお金を使い、借金をなくし、貯金をしていく。老後のために。
③押しつけたくなる人の気持ちがいくらかわかったような感じがしたので安心。
④1対1と1対50と5~6人とは何が違うのでしょうかねぇ? (評価?) 聴く力。思考。
⑤いわれのないことをやりすごす。人生カフェ参加者を信ずる。
⑥私に強迫観念を植えつけた二人の人間がいるが、ほんとうはその人達こそ、心に弱さを抱えていたのではないかと、今は理解している。従って、今では二人を恨んでもいないし、また、自分自身のその傾向もありのまま受け入れて許していこうと思う。
⑦関心の輪~A  影響の輪~B   〈努力してできることとできないこと〉 Bなら努力克服 Aなら諦めたい(やりすごす)

【第21回目の記録】

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第21回人生カフェは3月12日(土)、9名(男性6名、女性3名)の参加によって実施された。今回のテーマは「私と他人とは何か」である。
「起」~簡単な自己紹介に続いて、今回のメインテーマを確認する。
「承」~メインテーマを受けて、各自がサブテーマを述べる。これによって各自の興味・関心のあるところが分かる。
 今回は大きく2つに分かれるテーマが出された。一つは、私と他人がこの世界でどのように成り立っているか。(難しく言えば、この世界の存立構造の探求) そして、このことはどのようにして追究できるか、といったテーマである。もう一つは、私と他人ということを実際の人生上・生活上の人間関係と捉え、そのありかたはどうなのかといった問いである。このように幅広く問いが出てきて、面白かった。
 「私だけが存在しているのではないか?」「独我論 私だけが存在? 相手も同じ? 自分だけ? ロボットは心をもつか?」「私だけがこの『私』として選ばれたように感じるのはなぜか?錯覚か?」「
 「『他人』は私にとって本当に他人なのか?」「『他人』は何のために存在するのか?」「私とあなた?」「自分が生きている証?」
 「世界5分前仮説?私の継続性?」「科学の発展により、どこまで解明されるか?哲学、宗教との関係性はどうなるのか?」
 「他人は私の競争相手か、仲間か?」「私と他人とはときには友人?親友?仲間?」「私にとって他人は、捨てる神?拾う神?」
 「他人の問題をどれだけ自分の事として考えられるか?」「他人の何を知りたいのか?」
 この後、フリーに対話する中で、私と他人との区別を強く意識する人とそうでない人とに分かれた感がある。前者は私を「特別な」存在と意識しがちであり、後者はそれほどではないという違いがある。
「転」~抽象的な話に終始せず、自らの具体的な体験事例を加味していく。これが人生カフェの特徴である。
 事例のタイトルだけを掲げておく。
 「人の不機嫌に巻き込まれること」「私にとって人は感謝できる人」「他人をその時々で使い分ける」「生後6か月の孫に対して、他人とは思えない。感覚として分身だと思える」
 「映画や小説で他人の人生を疑似体験するのが楽しい」「真実は常識ではない。UFO、不思議体験 なぜ→どのように 独今論」「我と汝 我とそれ 根源語」
 私と他人の間に「分身」という感覚が存在するというのも、面白いと思った。これを女性特有の感覚と言ってしまわない方がいいような気がした。

「結」~メインテーマに対する答えを求めて、参加者同士で対話を展開していく。最後に、今日の各人の結論めいたもの、あるいは感想やさらなる問いなど、とにかくコメントをフリップに書いてもらった。
 「私と他人」というテーマに対して、人間関係として捉えるものから、世界の中でのあり方そのものを問うものまで、サブテーマを考えていく中で出てきたことが最後まで続いていた感がある。それだけ幅の広い話ができたということでもある。
 「人が恐い、人がライバル、人が敵⇒人が友だち、人が仲間、人が面白い」「他人と歩調を合わせて生きる。でも自分は自分でしかない」「幸せを求めてる関係でありたい」「根源語(我と汝 我とそれ) 良い言葉をありがとう。私と他人は同じ人間」「(絵を描いてもらった。)頭の中に二人の人がいる。そのうちの一人は他人との間に存在してくれている」「他人の存在が私を浮き彫りにしてくれる。(他人がいなければ、私の確認のしようがない」「
 「哲学的問題は、自分の問題となれば、答えを求め、出さざるを得ない。私と他人 他人を自分と同様に認める。(嫌な奴、そういう人もいる、と割り切る) 我と汝に近づく。 久しぶりに考えたので、頭が痛くなった」「考えていることは同じで安心。独我論は矛盾。独今論。but証明はできない。脳科学と心理学、物理学等が横断的に統一する方向→科学の進歩 哲学、宗教との融合」「私がこの『私』であるのは『偶然』か?あの人であったかもしれない。すべての他人を思えるようになりたい」

【第20回目の記録】

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 第20回人生カフェは2月27日(土)、11名(男性7名、女性4名)の参加によって実施された。今回は当日参加した人で対話のテーマを決めていくというものである。
 最初に各自が最近感じていること、考えていることを出してもらった。これによって参加者が関心のあるところをお互いに知ることができる。
 「『こころ』はどこにあるか?」「『時間』とは何か?」「人に迷惑をかけなければ悪いことをしてもよいか?」「世の中で一番大切なものごとは何か?」「お金で買えないものはあるのか?」「ポジティブとネガティブ、どっちが好き?」「孤独と愛とは何か?」「好きになるとはどういうことか?」「力の時代?」「『かわいい』『カワイイ』という言葉が注目されるのはなぜか?」「自分にとって幸せとは何だろう?」「同年代・同世代の物事の考え方?」「なぜ人は話をしたくなるのか?」「人間関係をつくるために大切なことは?」「知人(友人)とは狭く深く、広く浅く、どちらか?」
 上記の最後の3つは人間関係に関することであり、このあたりに関心を寄せる人は多かった。その中で、「なぜ人は話をしたくなるのか?」というテーマが具体的に考えやすそうであり、かつ改めて考えてみたいテーマということで、当日のテーマとして採用された。
 このメインテーマに対して、各自が考えたい視点、すなわちサブテーマ的なものをいくつか出してもらった。
 「それは必要なこと?本能?欲求?自然なこと?」「だれに、いつ、どんな時に、何を?」「話すことで何を得るのか?」(これは二人の人が出した。) 「初対面とか、初参加のときは話をするより聞くほうになるのはなぜか?」「聞くことより大切なことか?」
 これらのサブテーマをもとにして、しばらく対話をした。
 次に、テーマに関する体験事例(エピソード)として、「彼女にした自分についての話」「好きな人、友達に話をしたい衝動にかられたこと」といったタイトルの話をしてもらうことを通して、「なぜ人は話をしたくなるのか?」という問いに対するいくつかの答えを出してきた。
 「自分のことを分かってほしい」「自分を表現したい」「自分を印象づけるため」「知識(情報)として、生き方の指針として、悩みの共有感のため、気持ちの安定のため」

最後に、参加者からテーマに関してコメントをフリップに書いてもらった。「話すこと」については、肯定的に捉えている人が多かったが、もちろんそれだけではない。
 「話をしたくなるのは健康的(自然)である。話をしたい気持ちを大切にしたい」「嬉しいにつけ悲しいにつけ、人は人と話すことで繋がっていたいと願うものだと思う。(承認欲求も含め) なぜなら、孤独感を感じやすい生きものだから」「人とのふれあい、コミュニケーションであるのかな」「承認欲求と自己満足。話すことで考えがまとまり、別のアイデアが浮かぶことも」「話をしたり聞いたりすることがポジティブなつながりになるといいと思う。人間関係を作るために大切なやりとりなのではないだろうか」「気持ちや考えを分かってほしい。認めてほしい。理解してほしい。基本的欲求(快食・快眠・快○) 人とのつながりを求めたい。心の安定のため」「はなせばはなすほど、お互いの違いがはっきりしてくることが楽しい。だから話す場にいる」「話したい欲求(自然)に乗り、話すことはポジティブだ。しかし、そこをあえて話さない知恵も必要」「他人に認めてもらいたいと思うから話をしたくなる。けれど、結局は他人との距離感を微妙に感じなければならないと思う」「話をしたいときも、話をしたくないときも、その日の気分かなぁ」
 おほめの言葉ももらった。「○○さんの深い(?!)話に感動!! □□さん(ファシリテーター)の巧みなMCぶりにも感動でした!」

≪追加のコメント≫
 話をしないと分からないことは多い。人の感じていること・考えていること、すなわち心の中はテレパシーができるわけではないから、普通は話をしてもらわないと分からない。
 話すことはコミュニケーションのための有力な手段である。文章を紙に書いて渡す、メールを書いて送るなどもコミュニケーションの手段ではあるが、話すことはその中でも強力な手段である。
 以上の基本的なことを押さえたうえで言っておきたいことがある。
 いくら話しても分からないこと、相手に通じないということはあるものである。
 また、余計なことまで話して、かえって人間関係がごちゃごちゃになることもある。「物言えば唇寒し秋の風」「口は災いの元」

【第19回目の記録】

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 第19回人生カフェは2月13日(土)、6名(男性3名、女性3名)の参加によって実施された。今回のテーマは「悲しいとは何か」である。
 最初に各自がサブテーマとして考えたいものを挙げてもらった。これによって、それぞれの関心のあるところが見えてくる。
 「なぜ人は悲しむのか?」「悲しみがわからない」「悲しみ…できたらさけたい言葉…考えたくない…」
 「失うことは悲しいか?」「自分の気持ちが他人に伝わらないとき、悲しい気持ちになるのか?」
 「悲しみは人に何をもたらすか?」「悲しみは多いほど自分に勇気、自信をもたらすのはなぜ?」
 「悲しみを十分に体験するにはどうしたらいいのか?」「喜びと悲しみは表裏一体か?」「分かち合う喜びは2倍、分かち合う悲しみは半分」
 何かを失うという喪失感が悲しみを生じさせている、そしてその対象との関係が深ければ深いほど、悲しさを大きくする、といったところは共通認識になった。
 その上で、人生カフェであるから、メインテーマに関連して、各自の体験事例(エピソード)を一つずつ披露してもらった。エピソードのタイトルだけを掲げる。
 「最愛の人との別れ」「父の死」「夫の死」「次女の脱線」「失恋」「道路ができた」
 以上を踏まえて、悲しいとは何かについて、フリーに対話を続けた。
 最後に、本日を振り返って、各自にフリップに一言ずつ書いてもらった。
 「大事なもの・大切なものを失うことは、悲しい、辛い、痛い…」「悲しいとは…信頼できなくなった時、分かってもらえない時」「喜びも悲しみも幾年月。悲しみの多い方が勇気、自信をもたらす。喜びと悲しみは表裏一体である」「悲しみは一見不必要と思われるが、悲しみがあるからこそ喜びがある(感じられる)」「悲しみから哀しみへ」「実感のない  今を生きる」
 感情面に着目してのコメント。
 悲しみの一つ手前に「怒り」がある場合がある。……悲しみがある。喜びがある。……悲しみと哀しみ、哀しみは穏やかさに包まれた情感がある。
 (PS)
 私は昨日折り畳み傘を失った。(置き忘れた。)
 しかし、あまり悲しくない。私はこの傘をあまり大事だとは思っていなかった。(それほど高くないから、また買えばいいくらいに思っていた。)
 だが、一方でもっと注意深く傘を持っていればよかったのに、といった怒りも生じた。これは自分に対する怒りである。

【第18回目の記録】

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第18回人生カフェは1月30日(土)、9名(男性5名、女性4名)の参加によって実施された。今回のテーマは「将来の夢とは何か」である。

 最初に各自がサブテーマとして考えたいものを挙げてもらった。
 「人生にとって夢とは何か?」「果たさないのが夢?」「夢は何のために必要か?」「夢は頼りになるのか?」「夢を持つと楽しいか?」
 「夢と目標の違いは?」「夢・理想・目標 違いは?大切なのはどれか?」
 「どうして将来の夢を考えさせるのか?」「将来の夢⇒職業(仕事)なのか?」
 「夢と呼んでいるものの『質』はどう変化するのか?」「共有するものと個人(パーソナル)な夢の差はあるか?」「中高年の夢は若者の夢とどう違うのか?」
 「何をしてよいかわからない。夢(教えてください)」
 今回は想定外の問いが多く出て、その後の対話も活発に展開した。
 人生カフェなので、メインテーマについての各自の体験事例(エピソード)を一つだけ挙げてもらった。そのタイトルだけを列挙する。
 「夏目漱石ボランティアガイド」「2020年東京オリンピックを家族で見る」「サロン共同オープン」「ドイツ語の新聞を読みたい」「SOSを出している人への支援」「宇宙の謎を知りたい」「ネコになりたい」「おもしろそうなことをすなおにやってみること」「自分が成る訳でない夢」
 各自が自分の夢を語ってくれた形になったが、具体的なものから抽象的なものまで、バラエティに富んでいた。
 最後に参加者にフリップに書いてもらった。
 「夢とはあこがれ。目標を立てさせるための想像力⇒夢を持つことは楽しいこと!」「目標を実現するための推進力。想像。わくわく、楽しい」「夢は達成されないロマン、ドキドキ感のある願望である。時間を忘れて夢中になれること」「年代に関係なく夢は持つべき。なぜならワクワクドキドキ楽しいから」「健康のために夢を利用しよう」「将来の夢を考えなくてもよい状態でありたい」「どんな夢でも自由である」「ネバー・エンディング・ストーリー(果てしない夢を追いかけて)」
 夢は内発的なものである。(だから人に言わなくてもいい。) 
 夢はワクワク感を伴い、楽しいものである。だから人の行動の推進エネルギーになる。

 【第17回目の記録】

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第17回人生カフェは「対話のワークショップ」という特別プログラムだった。
 1月10日(日)の午前10時から午後5時までの7時間の長丁場であった。(初めての試みである。) 男性7名、女性2名、合計9名の参加であった。
 対話のテーマを参加者で決め、各自の体験事例から対話を展開する。これらを通して「対話」について考える。これが趣旨である。
 一応、起承転結のプログラムを用意している。
 「起」:各自から、自分の興味・関心のあるテーマを出し合う。出てきたテーマを例示する。
 「性格とは?」「やさしさとは?」「人を思いやるとは?」「普通においしいとは?」「電化製品の買い時は?」「鏡を合わせて1500回反射すると?」「タイミングについて」「としをとることのメリット?」「老人の優位性とは?」「この世とは自分か?」「ペットロスって何だろう?」「存在価値、生きている意味」
 この中から、今回は「年を取るとは何か?」にテーマを決定した。
 「承」:「年を取る」というメインテーマに対して、各自がサブテーマを考える。
 「個人差があるのでは?」「10年後どうなっていたいか?」「去年よりどこが成長したか?」「社会的成長しかないのか?」「年を取るとなぜガンコになるのか?」「年を取るとなぜやさしくなるのか?」「ガンバラない人生とは?」「自分を信頼するとは?」「人生とは考えた通りになるのか?」「生きることに近づくのでは?」「存在証明は必要か?」「ひとはいつから『経験』をするのか?」
 これらサブテーマを基にして、しばらく対話をする。
 「転」:メインテーマに関する自分の体験事例(エピソード)を紹介する。そのタイトルだけを掲げる。
 「父の死」「両親の死」「兄弟の縁」「サラリーマンをやめてやっと自由になれた」「「居直る自分」「やさしい言葉づかい」「いじめられるのはデメリット」「体と心」「自分になる」
 この中から「居直る自分」の事例を取り上げ、さらに詳しく聞き、話を展開していく。
 「結」:以上を踏まえて、フリーに対話を重ねる。
 私が印象に残ったのは、「経験」というキーワードである。子どもでも、若者でも、中高年でも、その時々に、1回きりの経験をしている。どの年代も同じように年を取っているのである。
 「結」といっても、明確な結論は出ない。たくさんの考える材料をもらった。
 最後に、何人かの人から感想をもらった。
 「年を取るとは何か?自分を信頼して、素直に居直る。自分を大事にすること」「生きるとはバランスを取り続けること」「年を取るとは、けっこうふしぎなこと。生きるということそのものと、常識的な齢とったねぇの間にある」「人は自分の事を他人に話して、やっと半歩前に進める。話をしないと進めないと思う」「この続きは?」

【第16回目の記録】

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第16回人生カフェは、12月23日(天皇誕生日)に、5名(男性1名、女性4名)の参加を得て、実施された。
 内容は幸福シートを各自で作成し、それをみんなでシェアし、来年のことを考える手立てにしようというものである。
 5人という人数だったので、密度濃く各人の話ができて、とても充実したものになった。
 幸福シートとは以下のようなものであり、各人は自分が書いたものから発表してもよいと思うものだけ話せばいいということにした。他の人からコメントをもらうことによって、自分のシートの内容をさらに豊かなものにしていくことができる。

*今、わたしにとって大切な人【現在】
  ①家族 ②友人 ③職場(学校) ④その他
*今までで感謝したい人【過去】
*当面やりたいこと(1ヶ月~3ヶ月くらい)【未来】
*中長期的にやりたいこと(1年~3年くらい)【未来】
*どのような人生を送りたいですか【未来】

 さらに細かく目標や課題を書いていく。
【場面ごとに】 家族 友人 職場(学校) その他
【要因ごとに】 健康 お金 趣味 その他

 このシートは3時間だけで完成させるものではなく、家に持ち帰って考える材料になればいいというものである。

【第15回目の記録】

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第15回人生カフェは12月12日(土)、8名(男性4名、女性4名)の参加によって実施された。今回のテーマは「嫉妬とは何か」である。
 最初に各自がサブテーマとして考えたいものを挙げてもらった。
 そもそも嫉妬とは何かということで、「嫉妬はセルフイメージが関係するか?」  嫉妬はマイナスイメージを持つことから、「妬みは、つまり虚栄心のことか?」「嫉妬は怠け者の心理か?」 マイナスに捉えることはないということで、「正直な心理が嫉妬では?」 さらに、「男に特有の嫉妬はあるのか?」
 そもそも「嫉妬は必要か?」
 嫉妬に対する対応策を探りたい問いは多かった。「嫉妬しない考え方とはどのようなものか?」「比べない生き方はあるのか?」「嫉妬をコントロールするには?」「嫉妬を『善い』エネルギーに変えるには?」  嫉妬されることへの対応策も気になる。「妬みの強い人からどのように避難すべきか?」
 深くて面白い問いとして、「努力ではどうにもできない嫉妬が芽生えた時、どのように自分と向き合うのか?」

 人生カフェだから、各自の過去の体験事例(エピソード)から、さらにメインテーマを考えていく。挙げてくれた体験事例のタイトルを並べる。
 自らの嫉妬については、「最後らしきラブ体験?」「嫉妬から怒り」「本当の自分ではなくなった」「一緒にいたい嫉妬、やきもち」」「同級生に対して」
 人から嫉妬される事例としては、「育ちへの嫉妬」「上司からの学歴・能力で嫉妬された!?」「社長とケンカ」
 強い印象を残した事例として、「嫉妬への対策」があり、これはストーカー的なメールの話であった。これについては、さらに詳しく話を聞いた。

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嫉妬を2種類に分けることができる。(絵図を参照)
 一つは3人の関係で(男女の恋愛関係が典型)、絵図の右側のものであり、これは狭義の嫉妬と言える。もう一つは2人の関係で、絵図の左側のものであり、これは「羨望」という言い方もある。
 この2つは明確に分けられるものではなく、一般には広く嫉妬として認識されているものである。ただ、分けて考えた方が話が混乱しないメリットはある。

 以上のようなことを踏まえて、対話を重ねたわけだが、最後に各自の感想などを書いてもらった。
 「恋愛に伴う嫉妬は、私には過去のものになってしまったか?LOVEからLIKEへ」「捨てる覚悟 自分をつくる」「嫉妬のメカニズムを考えたい」「嫉妬とは偽りのない気持ちのあらわれ 真心」「妬みは心の貧困、飢え。だから克服しなければ生きていけない。よく生きるために妬みは1回は必要かもしれない」「嫉妬は自分の心を見つめるチャンス」「嫉妬はネガティブではない!!嫉妬から生まれるエネルギーを大切に。嫉妬を感じることも他者への共感の一歩」

 嫉妬は苦しい。だから、私(ファシリテーター)は今までネガティブに捉えていた。
 しかし、上の感想にあるように、嫉妬を素直な感情と見ると、そこから新たに見えてくるものがある。嫉妬を肯定的に捉える人もいて、新しい気づきをもたらしてくれた。
 (補足) 私(ファシリテーター)は恋愛体験が乏しくて、このあたりの嫉妬をあまり語れなかったのが残念!(笑)

【第14回目の記録】

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第14回人生カフェは、11月29日(日)に9名(男性5名、女性4名)の参加によって行われた。
 今回は参加した人たちでテーマを決めるという方式なので、最初に現在、興味・関心を持っていることを出してもらった。
 「死とは怖いものか?」「正しいおいとまとは?」「記憶し続けるとは?」「音・声を記憶し続けることは可能か?」「音・声の不思議さ」「運・運命とは?」「縁とは?」「理不尽」「正義とは何か?」「偽善とは何か?」「「やさしさとは?」「人がいいとは?」「他人の痛みとは?」「親友は必要か?」「劣等感とは何か?」「羞恥心は必要か?」
 この中から、今回は「死とは何か」というテーマを取り上げることにした。
 次に、「死とは何か?」というテーマに関連した自分の体験談(エピソード)を語ってもらった。(人生カフェだから、抽象的過ぎる話にならないように、過去の豊富な体験に基づいて話をしていこうという趣旨である。) 出た体験事例のタイトルは以下のようなものである。
 「足の不自由な片親の死」「母親の死に思う」「母親の病死」「姪っ子の突然死」「妹の死」「父の死」「中国に一緒に行った二人の死」
 この中では、父の死をあまり悲しく感じなかったという体験事例に特に注目して、さらに詳しく話を聞いていった。

死についてフリーに対話した。
 死に際して、納得するか(腑に落ちるか)といったことを考えたり、死に関連して、改めて悲しみというものを考えた人もいた。動物の死と、人間の死とを比較する話も出た。
 最後に、感想や新たな問いなどを出してもらった。
 「死とは納得しなければいけないのか?」「死は納得すればいい!!(いろいろあっても……)」「納得できる死 死についての納得感とは生きるということを知っていること」「どんな死も残された人には納得できない理不尽なもの?でも人間100%平等だからなんて無理に納得してみたりして……」「悲しみの根源」「死を悲しまない自分を恥じなくてもいい」「自分から出る感情とは本当の気持ちか?」「小さな〈動物〉としての死のとらえ方とは?」「まだ生きていたい!≠ 死にたくない」「死にざまは生きざま」

【第13回目の記録】

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第13回人生カフェは、11月14日(土)、9名(男性5名、女性4名)で行われた。今回のテーマは「経験とは何か」である。
 まずは参加者の問題関心、すなわちサブテーマとなるようなことを出し合った。
 「経験と体験の違いは?」「経験は体験より優れているのか?」~基本的な用語、概念の問題である。
 「「何もかも経験するのは無理」「経験には種類がある」~このあたりは大体が共通認識である。
 「実際の経験と他人の経験を聞く、本を読むなどとの違いは?」「リアルな経験とバーチャルな経験の境は?」
 「睡眠って、経験したと言えるのか?」~これは意識している経験と意識していない経験との違いのことである。
 「自分の意志で経験できることと、自分の意志とは関係なく経験してしまうことでは違いはあるのか?」~これは自ら経験することと、経験させられてしまうことの話である。
 「同じような経験をしているのに人によって受け止め方が違うのはなぜか?」「個人の経験と大勢の経験は同じなのか?」
 「経験を積むことは本当にいいことなのか?」「57年の間に経験したことを自慢してはいけないのか?」「経験者は偉いか?」「経験は人を〈石〉にするか?」
 「人は経験せずに成長できるのか?」「経験とは心の成長の助けになる」「経験は宝、他の人の経験からも学ぼう」「経験したことで痛みを分かち合える」
 「その人の経験はその人の歴史か?」「経験を積むことは想像力ではないか?」
 「失敗の経験を生かすにはどうしたらいいか?」「失敗経験をプラスにする方法は?」

 その後、テーマ「経験」に関する自らの体験談(エピソード)を一つずつ披露してもらった。
 「父親の苦労(戦争と生活)」「上司の経験談(自慢話)」「自分の自慢話」「一人旅の経験」「遊びなさい!部長の言葉」「社長とケンカ」「意識されない経験の不思議(涙のセットポイント)」「呼吸法」「患者会に助けられました」
 この中から「一人旅の経験」を取り上げ、さらに詳しく聞いた。

少し主宰者の考えを述べる。
 「体験」は解釈される。楽観的な見方をする場合もあれば、悲観的な見方をする場合もある。成功と見る場合も、失敗と見る場合も。失敗から学ぶ場合も、学ばない場合も。……その解釈を経て、体験は「経験」になる。

 最後に、参加者の感想・コメント。
 「経験はたくさん気づき、悟ること」「経験とは人生の色である」「質・量とも豊かな経験が必要だと思う。しかし、量は限界がある。身体が必要だから。そのために読書が有効だと思う」「経験とは、経験を積むこと、豊かになることだと信じたい」「生きているかぎり、新しい経験は可能である」
 「いつも新しい出会いや視点が生まれてきてよかったなと思います」「皆さんのお話は自分の引き出しを開けさせ、過去を新たな意味で価値づけ、発見がありました」

【第12回目の記録】

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10月31日(土)、中高年10人(男性5人・女性5人)の参加で開催された。
 今回は参加者によってテーマを決めるというやり方である。参加者から、最近考えていること、感じていることをテーマの候補として出してもらった。
 「人生とは?」「時間とは?」「幸せとは?」「家族とは?」「親子とは?」「母親の役割の終わり方とは?」「友達とは?」「プライドとは?」「個性とは?」「趣味とは?」「情報は多い方がいいのか?」「人の迷惑とは?」「引きこもりとは?」……
 これらの中から、今回は「幸せとは何か?」というテーマが選ばれた。
 次に、テーマ「幸せ」に関しての自分の体験事例(エピソード)を各自から挙げてもらった。
 「喉の病気」「富士登山」「映画への期待」「「子育て」「じわーっと感じる」「自分の弱さをみせられた体験」「今日一日無事で良かった」「何にもない事」「人生カフェに参加できること」「息子の立直り」
 これらの体験の中で、特に「今日一日無事で良かった」という体験に注目して、対話を続けた。
 途中で、「幸せになりたいのか」という問いをめぐって、幸せを強要したり、幸せに対して強迫観念を持つことへの疑問が出された。
 最後の各自のフリップ。
 「(新たな問いとして)孤独だと幸せになれないのか?」「やっぱり!!じわじわの幸せとワクワクの幸せをたくさん求めて生きていきたいです」「いろいろな幸せのヒントをありがとう」「しみじみと生きたい」「幸せ探しは永遠かな?(寄り道=道草しながら)」「人見知りで、集団が苦手なのに、今日はあがらずに話せた自分にビックリ!」「何でもおもしろがる、感謝する」「自分の身のたけにあった生活/人生」「幸せとは自然に感じることかな」「幸せとは出会えることへの感謝」
 
【第11回目の記録】

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10月10日(土)に開催された、第11回人生カフェのテーマは「怒りとは何か」であった。10人の中高年(男性5人・女性5人)が集まった。

 参加者がどのあたりに関心があるか、メインテーマに対してサブテーマ風に挙げてもらった。いくつかに集約して列挙してみると、「なぜ怒るのか?」「怒りは悪いことなのか?」「怒りは損か、得か?」などが発言された。また、価値観のズレから怒りが生じることが多いので、このズレとは何か?というサブテーマも出た。
 次に、あまり抽象的な話ばかりしていると行き詰ってしまうので、各自から体験事例を出してもらった。面白い事例がいくつか出たが、参加者の関心を特に引いたのは次の2つの事例である。
 「電車の中で携帯電話を使っている人に対して怒りを感じるが、相手が強面(コワモテ)の人だと怒りを表明しないか、あるいは怒りを感じなくなってしまう。」
 「神戸出身の私が、新婚時代、夫から関東弁で注意された一言にものすごく腹が立った。」
 これらの事例を踏まえて、取りあえずの「怒りとは何か」について、各自フリップに書いてもらった。

 「エネルギーである」「精神の波の最高位である」「感情をコントロールできない時」「私はできないということの表れ」「嫌な感情」「悪である」……

 今回の人生カフェは、怒りへの対処法といった実際的な話まで展開した。これは中高年らしいとも言えるし、近年アンガーマネジメントが注目されている現れとも言える。

 怒りとは何か、ということに対する答えとして、「相手によって使い分けるべき感情表現」とか、「必要な時に、必要な分だけ、必要な人に」とか、フリップに書いた人たちも、やはり実際的な対処法に関心があるからだろう。

 まずは、自分の心に生じる怒りに対処する方法。人それぞれではあるが、例示する。「小さいうちに怒る」「怒りを意識して深呼吸」「6秒待つ」「寝る」「うまくできないで怒っているという自分を自覚する」「自分の思う通りには他人を動かせないということを認める」「別の方法を考える」
 他人の怒りに対処する方法、これもいくつかあるが参考に例示する。「その人はうまくできないで困っていると思う」「自分ができることだったら、やってあげる」「自分ができないことだったら、うまくやり過ごす」「人の怒りに巻き込まれない、距離を置く」「その場を離れる」「ただひたすら謝る」「相手の話をよく聞く」「相手は自分に対して怒っているのではないと思う」「第三者を介入させる」

【第10回目の記録】

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 第10回人生カフェのテーマは「別れとは何か」であった。

 9月12日(土)、男性4名、女性2名、計6名の参加によって、対話がなされた。
 やはり別れを考えるときは、「出会い」も表裏一体で考えたくなる。また、別れに伴う「悲しさ」という感情にどうしても関心がいく。「怒り」の感情が伴うこともある。
 別れの最大の出来事は「死」といっていいだろう。他人の死もあるが、自分の死は特別な別れである。
 「別れは自由に生きるための始まりなのか?」といった問いは興味深かった。
 サブ的な問いを出し合った後に、テーマに関する各自の体験を語ってもらった。
 肉親との死別の話が多かった。他に、友との別れや、仕事上の別れ(人事異動)の話もあった。
 最後の対話の段階で、再度、出会いの話とか、自由のために別れるといった話が出され、深められた。
 他に、関連して、「欲」の問題や「死に方」の話など、話は膨らんでいって楽しかった。
 6人という人数は参加者一人一人が話ができるいい人数ともいえる。

【第9回目の記録】

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 8月29日(土)、男性8名、女性5名の中高年が集まって、第9回人生カフェ(中高年の人生を考える哲学カフェ)が実施された。

 今回は参加した人たちで対話のテーマを決めるという、人生カフェ初の試みである。

 各自から最初に出てきたテーマを掲げてみる。感情を取り上げたもの(「怒りとは何か?」「怒りは悪いことなのか?」「喜怒哀楽とは?」「思いっきり泣けるものはあるか?」)、老いを取り上げたもの(「老いとは?」「老後の心構えとは?」「中高年とは何か?」)、戦争と平和を取り上げたもの(「戦争とは何か?」「日本の平和について」)、その他(「第一義とは?」「人生はどうやって決まるのか?」「論理的に考えることの限界は何?」「冤罪はなぜ悪い?」)

 これらから一つにテーマを絞るのはたいへんなことではあったが、「第一義とは?」というテーマを拡大解釈して、「大切なものとは何か」というテーマで対話をしていくことになった。
 大切なものとは、場面場面によって変化していくものか、それともそれなりに恒常的なものなのか。また、人によってかなり異なるものなのか、それとも普遍的なものなのだろうか。考え出すと、難しい問題である。
 「大切なものとは何か」というテーマについて、最後に参加者の何人かがフリップに書いてくれたものを紹介しておこう。「平和であること」「普遍的なものとして、愛、正義。身近なものとして、家族。私にとっては、美・愛に生きていること」「人それぞれ」「人は目的をもって行動しています。無意識であっても必ずある目的をもって行動していると考えます。そこである信念をもって行動をとる人はどのくらいいらっしゃることでしょう。例えば、何もそこまでやる必要はないでしょと思われる行動(徹底的に海辺を掃除するとか、無料で診療するとか)、それが大切」「大切なものは、外的に、運命的に決まっているもの、時々によって変わるもの……であれば、それは大切なものと言えるか疑問がある」

【第8回目の記録】

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7月11日(土)中高年11名(男性8名、女性3名)が「私の身体とは何か」というテーマで対話をした。

 「私の身体」のことを考えていくと、次の3つのようなことを考えていくことに繋がっていく。
①やはり身体の健康のこと、病気のこと、そして老いのことが気になる。
②身体と心(意識)との関係はどうなんだろう。一元論的に見るか、二元論的に見るか。
③吃音、赤面、ぐるぐる回る感じ……などのいわゆる症状といったものを身体から見るか、心から見るか。

 このように考える対象としている「私の身体」を、さて、トータルに見て、あなたは果たして肯定できるのか?好きになれるのか?

 「私の身体とは?」というテーマで、参加者が現時点で書いた一言ずつ。
 「健康第一!からだは自分の心を大事にし、いつも自分の味方をしてくれる」「病気は体のメッセンジャー、悪いものではない。体はいつも自分の味方」「エネルギー」「欠陥だけが意識され、大きくなる」「心を含めて一体であり、全ての行動と歴史と未来の責任」「愛おしい子ども、私の魂の親友」「汚れたもの、私の心も、だからきれいにする、きれいになりたい」「私の身体の動きとは、私の意識とのコラボレーション(協同作業)の相手です」「私そのものである。だから大切にしよう!しかし、時々、体と心を分けて考えてみたくなる」「私の材料」

2015年2月15日 (日)

人生カフェ・コラム

人生カフェ(哲学カフェ・哲学対話)の楽しみ方

 

対話を楽しみましょう!

 

1 自分の頭で考えることを楽しむ

   誰かから正解を教えてもらうのではない。

   上手・下手ということは関係ない。

 2 みんなで一緒に考えることを楽しむ

   仲間意識を楽しむ。

 3 他の人との価値観・考えの違いを楽しむ

   出会いを楽しむ。

4 少しでも納得したところがあったことを楽しむ。

   少しでも人生の糧や拠り所となったところを確認する。

 5 もやもやしたところを楽しむ。新しい問いが生まれたことを楽しむ。自分の考え方が変わっていくことを楽しむ。

 

 ◎自分なりの楽しみが見つけられれば幸いです。

 

◎1回の参加だけでは、なかなか楽しみは見出せないかもしれません。何回か参加することによって楽しみが分かってくるでしょう。




グループでの話し合いについて

 

 自分一人だけで考えていると、どうしても行き詰ってしまう。

 6~10人くらいで話し合いをすると、楽しいし、有意義なことが多い。

 大体が多角的に物事を見ることができるようになり、各人から色々な知恵を出し合うことができる。みんなで励ましあったり、共感したりといった、感情的な面も重要である。

 中高年だからといって、グループの中で、きちんとしたことを言わなくてはならないとか、他の人が感心するような深い話をしなくてはならない、といったようなことは思わないでいい。自分の長年の経験から話をすればいい。それは悩みであり、苦しみであってもいい。

 ただし、中高年にありがちなことに関して、注意を少ししておきたい。人の話をよく聞くことと、自分だけが長くしゃべらないこと、である。


テーマについて

 

 人生カフェでは、毎回一つのテーマを設定する。そして、そのテーマについて、問いと答えを連ねていく。未来を生きていくことに関連させて考えを続けていく。

 ディズニーランドのようなものを指して、「テーマパーク」という言い方がある。ディズニーランドのテーマは「夢(ドリーム)」と言っていいだろう。このテーマを意識しているとしても、アトラクションやショウなどは実に自由に多様に展開している。それが魅力になっている。

 人生カフェのテーマについても同様で、テーマを意識していることが大切だが、多種多様なアプローチがあっていい。

 多少脱線してもいい。話題を次々に転換していってもいい。逆に、一つのことに立ち止まってじっくりと考え込んでもいい。時に沈黙が長く続いてもいい。

 他の人たちに自分の考えを伝えようとする努力や工夫は必要だが、必ずしも上手な話し方でなくてもいい。訥々(とつとつ)とした話し方でもいい。周囲に聞く力があれば十分に受け止められる。

 

 

「問い」と「答え」について

 

 「人生カフェ」は宗教活動ではないので、答え(正解)があるわけではない。

 一人一人が問いを立て続けること、そして、それに対して答えを考え続けることを重視する。参加する前に想定していた自らの問いが、参加することによって変化していくことこそが面白い。

 参加することによって、わずかでもヒントや気づきがあれば、それがいい。

 終了後にもやもやした感じが残るところを大切にしたい。これがあるから、終了後にも数日間考える楽しみがある。

 そして、また次回のテーマについて考える楽しみがある。どうぞ、また次回に参加してみてください。

 

 

 

「会話」と「対話」について

 

 「会話」とは、価値観や生活習慣などが近い親しい者同士のおしゃべりである。

 一方、「対話」とは、あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換である。あるいは親しい者同士でも、価値観や情報が異なるときに話し合いをすることである。

 「人生カフェ」に集まる人たちは、中高年の世代の人たちである。この点に関しては共通基盤があるが、それぞれの長い人生の中で異なる人格を作り上げてきたといっていいだろう。

 お互いに、当然ながら、異質な存在である。

 

 したがって、「人生カフェ」の場で行われるのは「対話」が主となる。(終了後の懇親会では「会話」が主になるかもしれないが。)

人生カフェの記録 ①

 【第7回目の記録】

「幸福とは何か」というテーマで、6月13日(土)、中高年の男女11名が話し合った。
 不幸ということから話が始まり、「比べる」ということが取り上げられた。比べるということは、自分の位置を知るためにもどうしても行ってしまうものだが、これがマイナスに作用していくと不幸になる。
 いきなり「人類の幸福のために」などと言うのは嘘くさい。まずは自分の幸福を基本に据えて、そこから出発していっていいだろう。
 瞬間の感情というものも基本にある。喜びや楽しみの感情を考えないわけにはいかない。
 その現在の感情を中心に据えながらも、過去に視点を広げて感謝の気持ちを持つ、未来へ視点を広げて希望を持つ、といったことも大切である。自らの人生全体を見渡しての肯定感が幸せに繋がる。これは動物とは異なる人間らしい幸福感である。
 参加者からの、幸福についての一言ずつ。

 「安定・決定」「何者(物、事)にも束縛されないホッとした時間」「努力とチャンスで得るもの、自分に与えられた環境の中で見つけていくもの」「皆さんと楽しくお話ができた事、次回もお目にかかってお話を伺えると思える今の瞬間」「状態・状況 < 感情」「自分が幸福と思ったら幸福、他者とは比べなくていい」「自分の大切な価値観を満足させること」「今日の出会いに感謝、めぐりあわせ!瞬間を大切に!」「愛をもとに、全く自由で快い個人的な感情」「生きる喜びと人生全体への肯定感」「自分の幸せ⇒幸せのおすそわけ⇒まわりの人を幸せにすれば自分も幸せになる」 
【第6回目の記録】

「時間とは何か」というテーマで、4月11日()、中高年の男女10名が話し合った。

「時間」とは、あまりにも当たり前のようなものであるが、それをあえて取り上げる。(ちょっと哲学っぽい感じです。)

面白い本を読んでいるときや楽しい映画を観ているときは、時間があっという間に過ぎる。一方、つまらない授業や講義を聞いているときは時間が長く感じる。

中高年について言えば、若いときに比べて時間が過ぎるのを速く感じる。自分の人生上、残された時間が少ない感じがする、などの特徴がありそうである。

時間を自然科学的に捉えるよりも、自分の感性から見ていくアプローチが多かった。時間を「時感」として捉えるようなものである。

10人の「時間とは」の一言。

「生命そのもの」「常に前向き」「やはり盲点」「若い時や健康な時には思わなかった。たいせつなもの」「今を生きること、時間軸は今、そして、ほっこりと生きたい」「先祖から引き継いでいる生命のバトンタッチをして、時間という区間を走っているうなもの」「すごく大事なもの」「現在、未来、与えられた時間を大切にしたい」やりたい事が出来た満足感、反対はミスしたとき」「生きること、動くこと、変化すること」

【第5回目の記録】
平成27年2月14日(土)、新宿区榎町地域センターにて、男性6名、女性2名、計8名で、「欲望とは何か」というテーマで実施しました。
 欲望とは生きる源(力・エネルギー)のようなものである。

 まずは性のエネルギーである。いきなりこの話から入ることができるのはさすが中高年である。(スケベエ爺さんの存在からして、男は死ぬまで続く欲望なのかもしれない。)
 その他の欲望として、お金に関すること、権力や地位に関すること、健康に関することなどが挙げられる。これらは多くの人が共通に持つ欲望である。(「一般欲望」と言ってよい。)
 それに対して、一般の人とは異なる、場合によっては人に言うのが恥ずかしいとか、人から批判されそうな欲望を持つこともある。それがその人の素直な気持ちから生じているのであれば、大事にされてしかるべきものである。(それらは「固有欲望」と呼ばれる。)
 一般欲望に固有欲望を加味することによって、その人の住みやすい場所、いわゆる「居場所」が見つかっていくのだろう。
 「欲望とは何か」というテーマでの参加者の言葉。
 「したいと思う心」「生きる糧」「豊かな人生を営むためには大切なもの。自分にとってコントロール不能なものは諦め、有益なものは活かす」「生きること、人を発展させることそのもの。完全に満たすことはできないので、適当に諦めて(調節して)実現することが大切か」「一日一日を感謝して生きられること」「今は体重を落としたい」「欲望を生きがいにして、日々努力して、欲望を達せられたときに満足感を得られる。また、耐えることにより、時間の経過とともに欲望が低下していく。…欲望を客観的にとらえ、夢、希望としてとらえ、日々の努力が夢に向かっての過程と感じ、幸せ感を感じることができる。欲望を持つということは、日々の生きがいでもある」

【第4回目の記録】

12月13日(土)「自由とは何か」というテーマで実施しました。

自由はどのようなときに実感するか?自由の実感を得るためにはどのようにしたらいいか?  その他いろいろ……
 男6人、女2人の中高年が話し合った。
 自由の実感は、残された時間がたくさんあるとかないとかだけでは言えないだろう。中高年も、「濃い自由」を実感できるはずだ!
 以下は、参加者が「自由とは何か」というテーマで、簡潔に書いたものである。
 「感謝する中に自由がある。幸せの中に自由がある」「拘束のないことだと思う。自由をどう活用するか自由である。自分のしたいことをするのでいいのではないのか?」「不自由の反対」「自分以外の人・他者に影響されず、発言や行動ができること。そして責任を伴うこと」「意志に基づいた多くの選択肢があること」「自分で感じ、自分で考え、自分で選び、自分で行動すること」「すべてから解放されて、自然に美に基づいた、ほのぼのとした愛を感じられる状態」「人は自由なようで自由でない。『自分の心』からの自由がとても大切」

【第3回目の記録】

平成26年10月11日(土)午後1時30分から、新宿区榎町地域センターで、14人が集まってスタートした。テーマは「梅田英彦とは何だったのか」である。以下はその時の簡単な報告である。

梅田英彦先生(1930.9.8-2010.9.7)の教え子たちが集まった。
 梅田先生は4年前に80歳になる1日前に亡くなった。
 梅田先生は東京正生学院理事長であり、心理療法家・カウンセラーとして活躍した。『話すのがこわい』など、心理関係の4冊の著書がある。特筆すべきは、悩める若者のために、個別的にも、またグループを組織化し、熱い支援を続けたことである。
 以下は、集まった教え子たちが梅田英彦先生を一言で言うとどのような人だったかを書いたものである。
 「出会いをくれた人」「大義に生きた人」「私の人生の土台を作るきっかけをくれた人」「悩める若者たちのカリスマ的存在」「「生きていく力を教えてくれた……負債もあるが帳消しです」「スマートとズルイ」「私の人生である……一生の恩師と愛弟子」「吃り直しだけでなく、人生、生き方、教養、人とのつきあい方等、知らない事を沢山教えてくれ、強固な心の友を与えてくれた恩師」「本当の優しさとは何なのかを教えてくださった方」「「反面教師だった」「やりたい放題の人生が送れた人。大切な仲間を残してくれた。しあわせだったかどうか?」

【第2回目の記録】

8月9日(土)に実施しました。以下は一人の参加者の感想です。

 「愛とは何か」というテーマで、中高年6名(男性4名、女性2名)が話し合った。

 まずは、私が印象に残った発言をいくつかピックアップしてみる。

◎愛の反対は無関心である。

◎愛は結びつき(結合、繋がり、連帯、共感など)である。

◎身近な人、目の前にいる人に対してから、愛することを始めよう。

◎見守るだけ(時には何もしないこと)も愛の場合がある。

◎無償の愛とまでは言えないかもしれないが、愛を全てお金で買うことなどはできない。

◎「好き」ということから、始まるのでいいのではないか。

◎愛するとは、相手の幸せを願うことである。

 

 さすがに中高年の人たちだから、「愛される」から「愛する」のほうに視点は移ってきている。また、中高年ならではと思うのは、夫婦のこと、子どものこと、老親のことなどの具体的な実体験が飛び交うことであった。

 会話(気の合う人同士のおしゃべり)のレベルとともに、対話(異質な考えを持っている人同士が話し合う)のレベルまでの話ができるのが、この会のいいところである。

【第1回目の記録】

6月28日(土)に実施しました。以下は参加者の1人のブログの記事です。 「幸福とは何か」というテーマで、中高年7名(男性5名、女性2名)が話し合った。

 話の中で出てきた言葉としては、「感謝する」「ゆるす」「励ます」「自分を好きになる」などがある。感情の面を重視するのは当然とも言える。(感情とは人の心の中で、たいへん包括的なものだからである。) それとともに、気分に流されない、幸福への「信念」というものも重要だと私は考える。
 私が、特に定年後を見据えた中高年の幸福の要素として掲げたのは、「健康」「金」「趣味」「人間関係」の4つである。しかし、今回の話し合いは、そのようなキーワードを超えて、すさまじい実体験からの言葉が飛び交った。さすが、中高年の会である。
 中高年の場合は、このように集まって、テーマを決めて話し合いができるだけでも、うれしいことである。

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